Erv's Letters index Text by Erv Yamaguchi


零細バイク屋2.0 2006年11月15日 19:12

 9月16日にアップした、有効な雑誌広告にて私は、ここのところ落ち込んでいて元気がない、クラスのイジメっ子たるジャイアンのケツを蹴っ飛ばすことで、そう快な気分を味わった。
 もちろんジャイアンとは、高慢ちきな国内2輪専門誌の編集長や、広告代理店の営業マンのことである。
 あのレポートの読者としての対照は、もちろん中小零細なバイク屋さんの経営者だった訳だが、ひょっとしたら国内2輪専門誌のエディター(編集人)や広告代理店の人間も、私の文章を読むことで、気分を害していたかもしれない。しかし、たとえそれらの人達が私の文章を読んで機嫌が悪くなったとしても、私には謝罪する意思は毛頭ない。理由。これは、言ってみれば愛のムチなのだから。
 では、今回も引き続き国内2輪専門誌のキズ口に塩をすり込むべく、本音で語るとしよう。

★雑誌広告
 国内2輪専門誌における広告は、その役割を終えた。つまり、それはもう存在価値のないフォーマットなのであり、雑誌広告について語ること自体、まるで液晶テレビの時代に白黒テレビについて語るようなものである。
 しかし、あなたは言うかもしれない、「雑誌広告がすぐになくなってしまうとも思えない」と、なるほど。
 では、“すぐ”について考えてみよう。雑誌広告がすぐに無くならなかった場合、それを生業(なりわい)としている人間は、いわば“ジリ貧”である。そう、ジリ貧とは、ジリジリと貧しくなって、最後には餓死するのである。従ってそこに関わる人間は、未来を見極め、今すぐに転職用の履歴書を買いに出かけたほうが良い。しかし、それらの人の中で、本当に未来志向の広告を目指して生き残りたいと考えるのであれば、これまでの成功体験、しきたり、慣習、先入観、エラソーな人達のことを100%無視して、新しい可能性をつかむことである。古いスタイルに対する執着は、無益などころか有害であり、本当のことを言ってしまえば、今こそが広告にとってチャンスなのである。でなければ、グーグルの株価の上昇を誰が説明出来るのだろうか?
 えっ? 何々? まだまだ自分達にはやれることはあるし、最後までこのスタイルであきらめないって? はぁ? 今までと同じことを繰り返していれば、消費者がいつかは屈服するとでも思っているのかね? もしかしたらば、そんなあなたの座右の銘は、『継続は力なり』なのかもしれないが、消費者から見たあなたのスタイルは、『バカの1つ覚え』でしかないのだよ。
 ところで、先日お会いした、とある国内2輪専門誌のエディターの方は、「雑誌広告には効果がない」という私の主張に対して、「雑誌の広告でしか表現できないこともある」と強がってみせた。なるほど。
 たしかに、オートバイのあのドキドキするエキゾーストノートや、エンジンの鼓動や、排気ガスの匂い、バンキングしながら優雅に駆け抜ける姿と言った、オートバイの持つ素晴らしい資質である“躍動感”は広告では全く表現できない代わりに、あくびが出るほど退屈なテキストや、今どき誰もだませないくさいキャッチコピー、平面的な写真等が雑誌広告の武器なのかもしれないが、それが一体何だと言うのだろうか? 我々経営者サイドが知りたいのは、ROI(投資対効果)である。君達が抱くクリエイティビティと言ったロマンには興味はない。正確には全く興味はない。むしろ、第三者として言わせてもらえれば、君達は視覚にのみ訴える印刷媒体にしか関わっていないので、被害妄想やノイローゼや内輪もめが盛んなんじゃないのかい?

 まーいいだろう。本質に戻して、零細バイク屋さんに向けて語ろう。
 以前のレポートで私は、世の中は進化しているのに、雑誌広告は全く進化していないと語ったが、今読み返すと、随分と遠慮がちに記述したものである。雑誌広告は進化していないどころか、むしろ悪循環のワナにハマり退化していると言っていい。
 例えば、である。今から50年も前であれば、オートバイは、その名もズバリ“オートバイ”というカテゴリーで考えれば良かった。しかし、現在では消費者のニーズに合わせて、オートバイの中に様々なカテゴリーがあるだけではなく、ドカやハーレーやビーエムと言った、ブランド別にまでカテゴリーが分かれ、それに合わせて雑誌も細分化されることになった。このように雑誌が細分化されると、それぞれの広告費は減り、広告費が減れば、紙面づくりがおろそかになり、エディターの人数も減らされ、つまりは雑誌の質が低下する。そして、質が低下すれば読者離れが進み、読者離れが進めば広告が入らない、と、国内2輪専門誌は、全く抜け出せない悪循環という名の袋小路にハマってしまった。終わりの始まりである。そして、本来は読者を喜ばせるべき記事を提供するページに、広告を出しましょうなどと言った記事が掲載されたりする。本末転倒というよりかは、もう末期症状に近い。こうした、すでに死期が目の前にまで迫っている雑誌の広告は、ただのオマケ、付属品、あるいは邪魔者、もっと言えば必要悪に成り下がっているというのに、インドやタイあたりで荒稼ぎして、その儲けの中で、株主が得るべき利益の一部を、雑誌広告という名のドブに捨てる脳天気ガリバー企業(だからホンダのことだよ)のようなイージー・マネー・ユーフォリア(あぶく銭陶酔症)でもない限り、売上の減少に悩んでいる中小零細のバイク屋さんが、起死回生を賭けて雑誌に対して広告費を使ったところで、“やぶへび”となるのがオチである。だって考えても見なさい、「雑誌広告は売上を上げる“ハズ”である」の、この“ハズ”に対してお金を使うのは、それはビジネスというよりも、むしろバクチに近いとは思わないかい? そして、多くのバクチがそうであるように、なけなしの金を使った時の方が、バクチは負けることが多いのだ。泣きっ面にハチである。(広告代理店の営業マンは、負けがこんでいるギャンブラーに天使のように近づき、悪魔のように金をせしめる)
 もし、あなたが私の文章を読んで運命を感じないのであれば、単に運がないのだが、(お気の毒)私の話を聞き分ける能力があるのならば、あなたは零細バイク屋2.0を目指すべきである。そう、あなたはインターネットを味方にするべきなのだ。

★インターネット
 ラジオは聴覚にのみ訴えるメディアである。印刷媒体は視覚にのみ訴えるメディアである。テレビは聴覚と視覚に訴えるメディアである。インターネットは、これに“参加”が加わったメディアであり、今のところ最強のメディアである。つまり、印刷媒体を擁護する人達の言うことなど、老人のたわごとに過ぎない。
 『バイカーズステーション』誌編集長の佐藤氏は、例の「星の数ほど…」発言で、インターネットを過小評価しているが、インターネットは商売のあり方なども一変させてしまった強靭なメディアであることに、早急に気付かなければならない。
 そして、佐藤氏は星の数ほどあるサイトの中から、消費者が自分のサイトに訪れると考えるのは楽観的だと語っているが、あえて私は逆説を唱える。
 雑誌にはページをめくるという行為が不可欠であり、表紙の裏側が最も広告にとって良いスペースだと言われている。同様に、テレビCMは番組の最初か最後に流すのが有利とされていて、屋外の看板広告は、渋滞している場所に立てるのが良いとされている。しかし、インターネットは、消費者の関心を引くツールがもっと多彩にあるばかりでなく、消費者が興味を持つまで待っていることが出来るメディアなのである。
 つまり、これまでのプッシュ型マーケティング、つまりは押し付けがましい広告は、消費者にとってただの迷惑に成り下がったが、インターネットは、消費者が自分の興味のあるものだけを引き出せるメディアなので、インターネットを利用し始めたライダー達もまた、頑迷で動きがトロい旧態然とした雑誌広告など迂回し、すでに自分達のバイクライフをガンガン豊かにしている。
 グーグルの社員にとっては全くの朗報であり、雑誌業界にとっては悪夢だが、これを可能にしたのが検索エンジンであり、グーグルこそが雑誌崩壊後の世界なのである。つまりは、プッシュ型マーケティングはその役割を終え、現在は消費者主導のプル型マーケティングに移行したのであり、あなたがどう考えようが、時代は変化してしまったのである。

★オタクからパンピーのものへ
 えっ? 何々? インターネットなど、オタクのオモチャで、まだまだ大したもんじゃないって? はぁ? たしかに、インターネットは、初期の頃はオタクの武器だったかもしれないが、すでにインターネットは、テクノロジーではなく、パンピーの生活様式になったのである。 えっ? 何々? 仕事に追われて、そんなことは知らなかったって? よろしい、では、もう頭文字を並べ立てたり、テクニカルターム(技術的専門用語)やジャーゴン(その世界における隠喩)などは使わずに、ハラを割って話そうじゃないか! そう、インターネットを、web2.0とかロングテールと言った専門用語をふりかざすオタクのものから、パンピーのツールへと成長させるのである。そして、もう店員の男の子や奥さんやお客さんの担当にしておくのではなく、店長たるあなたはインターネットに対して真剣に取り組むべきなのだ。今後はインターネットに対する偏見を捨て、近寄ったら噛み付かれるんじゃないかなどとは考えずに、売上の上昇の為にインターネットをフル活用しなければならない。
 ちなみに、前回は雑誌広告のかわりとして、グーグルのアドワーズ広告について語ったが、これを読む読者の中で、検索エンジンについて知らない人はいないだろう。しかし、雑誌広告に慣れ親しんだ、あるいはそれしか方法論がないと思っている零細バイク屋1.0の方は、まずは検索エンジンマーケティング(SEM)について勉強すべきである。否、猛勉強すべきである。
 え〜と、基本から話すと、検索エンジンを使ったマーケティングの攻略には、ストレートに金を使う検索連動型広告と、検索の結果で自社サイトを上位表示させる金がかからないが手間がかかるSEO対策、つまりはペイドサーチ&ナチュラルサーチと2つあるが、有料は技で、無料は科学だと言われている。
 えっ? 何々? すでに専門用語が飛び交っているって? ワリーワリー。う〜ん、どうも私はTWMCの井出さんのようにはうまく説明できないので、ここから先はあなたの独学にまかせるとしたい。私は説明のプロではないのだ。(日々試行錯誤の自分の商売で手一杯とも言える)
 それよりも何よりも、私はオートバイのライディングにおいても、テクニック論よりも、ライダーの性格分析のほうが好きなので、以下には、私がこれまで出会った高慢ちきな国内2輪専門誌の編集長について語るとしよう。

★日本人の縮図
 私がこれまで出会った2輪業界に属す人の中で、同世代以下の人でとてつもなく礼儀知らずの人などあまり居なかったが、年配の国内2輪専門誌の編集長は、どうしょうもないほどどうしょうもなく、とんでもないほどとんでもない礼儀知らずなバカヤローが多かった。
 ちなみに、2輪業界以外においても、私は自分よりも20歳から30歳年上の、つまりは60歳から70歳くらいの権力者が苦手である。しかし、彼らをよく観察してみると、彼らが戦後の日本人の縮図だということがよく理解できる。
 彼らは、メーカーやMFJといった長いものには巻かれるが、目下の人間に対しては、(例えそれが金を支払った顧客だろうと)見下すことが多い。こうしたオヤジメンタリティーは、何に原因があるのだろうか? 答えは歴史にあるのかもしれない。
 我々日本人は、アジアの国々を植民地にした経験があるが、それと同時にヒロシマ、ナガサキの被爆体験や、シベリア抑留などの被害にもあった。しかし、アジアの人達に対する経験を、自らの悲劇に照らして追体験するよりも、むしろ、ほとんどコンプレックスとも言えるアメリカに対するトラウマから、そのコンプレックスがアジアの国々に向けられ、自己中心的な居直りがより一層強まり、上位の権力には被虐的でありながら、自分よりも目下の者に対しては加虐的で横柄な態度を恥じることがない、ダブルスタンダード(二重基準)を身に付けてしまった感がある。
 つまり、厳父たるアメリカには従属し、近隣のアジアの国々に対しては見下すような態度を、そのまま2輪業界でも発揮するのが、バカヤロー編集長の特徴であり、こうした人達が2輪業界に居座っていることで、明るい未来など描けない2輪業界のジレンマがある。
 しかし、今のところ30代の零細バイク屋の経営者や、30代の国内2輪専門誌の編集長は、大変お行儀良く振る舞っているが、絹の手袋をはめていては革命は起こせないので、私は今後もインターネットという武器を片手に、業界の“鼻つまみもの”の役を買って出てまでして、零細バイク屋2.0に勇気を与えたいと思う。
 また、自分は消費者たるライダーだというあなたは、2輪業界の明るい未来の為にも、バカヤロー編集長の足元をすくうことで、零細バイク屋2.0を救って頂きたい。
 いや失礼、そのままいつものように自分のバイクライフを充実させていれば、国内2輪専門誌は自然死するので、余計なお世話かも? である。
 あなたはこれまでもこれからも、質、信憑性、効果のどれをとっても最低な雑誌広告に対してマユにツバし、インターネットのコミュニティというバーチャルな分身で物事を考え、リアルな金銭を交換する実体経済を動かして頂きたい。




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