Erv's Letters index Text by Erv Yamaguchi


自動車社会(モータリゼーション)の欺瞞性(2)
2008年5月15日 12:01

★日本
 モータリゼーションの提灯持ちと言える、自動車ジャーナリストなどの文章を読むと、アメリカ人の自動車に対する思い入れは、自由を最も尊ぶフロンティアスピリッツがベースにあるといった表現を使うことが多い。そして、こうしたアメリカ人達のフロンティアスピリッツを見習い、我々日本人にも、自由の象徴たる自動車に乗って、好きな時間に好きな場所にでかけようとけしかけてくる。

 しかし、自動車社会がもたらしたツケは大きく、そうした“くちぐるま”に乗せられて自動車を買い、自動車社会を構築した日本人は、益々不自由な生活を送るようになっている。

 自動車を所有する日本人は、平均すると年間2500キロ自動車を走らせている。また、これに対して、自動車を所有する日本人は大体年間で50〜100万円の自動車の維持費を支払っている。これは、1ヶ月に4〜8万円の出費である。

 仮に、時給2000円で働いている人が、毎月6万円自動車の維持費を支払っていたとして、自動車を所有するのをやめれば、月に30時間は働かなくて良いと言える。そして、月に30時間の時間的猶予が生まれれば、自動車の代わりに全ての用事を自転車や徒歩で補っても生きていけそうだが、こうした単純計算はあまり意味がなく、「6万円はいりませんから30時間労働時間を削減してください」と言っても、正規雇用の社員にはそうした雇用形態は許されないという社会になっているのが実情であり、月に決められた時間働く必要に迫られた人達は、残りのプライベートタイムで素早く移動できる方法として、マイカーの所有を考えてしまう。

 また、これとは別に、自動車を所有することで、物欲を満たしたいとか、社会的なステータスを誇示したいという欲求も別に働いていることも多い。しかし、自分の欲やステータスの為に汗水流して働くと言うのも、ご苦労なことだと言える。また、休日の繁華街という、平均速度がより一層低くなる場所でフェラーリやポルシェを走らせる人達は、ストレートに自分のステータスを誇示していると言えるが、しかるべき場所に住み、しかるべき自動車に乗ることで、「大丈夫、自分はしかるべきグループに所属している」と自己確認する行為のことは、専門的には“金銭的儀礼”と呼ばれている。もちろんこの金銭的儀礼を抱く心理の根底には、自尊心や虚栄心という名の利己主義が居座っている訳だが、この利己主義が横行すればする程、自動車にはトランスポーターとしては無意味な付加価値が追加されていくことになる。そして、その中で最もバカげている付加価値が、“ブランド”である。

 先日、私はNHKの番組にて、家計の節約について助言するという内容の番組を見たのだが、最初に庶民に街頭インタビューしてみると、食費、洋服代、嗜好品など、人によって家計の節約方法はバラバラだった。しかし、専門家が真っ先にアドバイスしたのは、「クルマの買い替えを控える」というものだった。さすがにトヨタの息がかかった民放では絶対に出来ないアドバイスだと私は感心したが、自動車の買い替えを控えるだけで、年間数十万円単位での節約が出来るので、チマチマとした経費削減よりも、自動車の維持費に真っ先に目を向けた方が、大きな家計の節約が期待できると専門家は言いたいようだった。

 従って、もし一家の主が、クルマ好きだったり、自尊心や虚栄心が高いタイプの男だったら、その家の奥さんは大変苦労する人生を歩むことだろう。もし、これを読む読者の中で、まだ未婚だという独身女性には、絶対にクルマ好きや、自尊心や虚栄心が高いタイプの男とは結婚しない方が良いと助言したいとすら思う。
 しかし、私がこんな助言をしなくても、すでに上位20%の所得層以外の、実質的に生活が苦しくなっている80%の所得層の人達は、クルマなどに贅沢出来ない状況になってきている。また、年収が200万円以下の低所得者層の人達は、クルマを所有していては生活が出来ないというレベルに達してしまい、この層の新車の購入率は大きく引き下がってきているようだ。

 また、私が若い頃であれば、18歳を過ぎれば自動車免許を取得するのは当たり前と言った風潮があったが、現在の若者は自動車離れが顕著になっていると言う。理由は様々だと思うが、Yahoo!知恵袋での回答では、↓みたいな理由があげられていた。


●都市における電車の充実
●派遣など若者の低賃金化
●娯楽の多様化
●携帯社会
●自動車保険の確立(注:かけ率のことではないかと思われる)
●CO2問題
●アンチセレブ

他にも多くの要因が考えられますが
人類の歴史では「車社会」なんて
ほんの一瞬です。
自然回帰のはしりだと
喜ばしい事じゃないですか。

「今の若者の自動車離れはなぜ起こったと皆さんはお考えですか?」より


 もし仮に、現在がバブル景気で人々がジャブジャブの現金を所有していれば、現在の若者だってクルマをガンガン買うと私は思うので、個人的には若者のクルマ離れは、不景気によるものが大きいと私は感じている。
 しかし、この回答のように、若者が自動車の所有に対してNOを突きつけていることは、理由は何であれ、エコロジーの観点では大変喜ばしいことだと言えるが、特に都市部では、電車の充実に対して、交通渋滞や駐車場の問題などから、わざわざクルマを利用するよりも、電車を利用した方が数倍便利だというのも事実だ。
 しかし、地方においては、中曽根康弘がネオリベラリズム(新自由主義)注入の手始めとして国鉄を民営化したことで、地方の赤字ローカル線は廃止される傾向になり、大店法の規制緩和により、郊外の大型店の出店ラッシュが続き、それまでに老人が徒歩でも買い物が出来た地元の商店街はさびれ、クルマを所有していなければ買い物が出来ないという状況になってしまった。


大規模小売店舗立地法(ウィキペディアより)

主としてアメリカから「大店法は海外資本による大規模小売店舗の出店を妨げる非関税障壁の一種である」という批判と市場開放を求める圧力が強まり、平成以後はこうした外圧に対応する形で大店法の規制緩和が進められることとなる。特に重要な分岐点となったのは、1990年頃の日米貿易交渉におけるトイザらス進出をめぐる議論である。これによって大店法の規制が大きく緩和され、郊外への大型店出店が進むこととなった。

指摘される問題点
本法は、大規模商業施設の店舗規模の制限などを主目的とした旧法とは異なり、大型店と地域社会との融和の促進を図ることを主眼としている。このため審査の内容も車両交通量などをはじめとした周辺環境の変動を想定したものとなり、出店規模に関してはほぼ審査を受けない。これにより近年では各地で大型資本の出店攻勢が活発化しており、それにより既存の商店街がシャッター街化するケースも増加している。

商店街のシャッター街化は地元経済の縮小をもたらすだけでなく、徒歩生活圏における消費生活が困難になるという問題を生む。特にこれまで街の中心部の商店街で買い物をしていた高齢者は、商店街の衰退によって日常生活を営むことが著しく困難になることが指摘されている。また、自動車以外の手段ではアクセスしにくい郊外の大規模店舗を中心とする消費生活は、徒歩と公共交通機関での移動を基本とする旧来型の生活スタイルに比べて環境負荷が高いことにも留意すべきであろう。


 自動車社会を肯定している現代人は、自動車を運転することで、電車にはないプライベートな空間を満喫し、好きな時に好きな場所に行けるという自由が得られると盲信し、この自動車社会に少々問題があろうとも、自己満足という名の利己主義と、運転という自由を勝ち取ろうと、必死になって自動車に愛着を持とうと努めているが、実際には、自動車社会がもたらす大きなツケの支払いに苦しみ、我々は益々沢山働き、益々自動車関連の費用を払い続け、益々窮屈な人生を送るハメになっている。そう、つまり実際には、人間が自動車を有効利用しているというよりかは、人間が自動車社会の人質に成り下がっているのが現状なのである。


自動車社会(モータリゼーション)の欺瞞性(3)




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