Erv's Letters index Text by Erv Yamaguchi


あべこべHY戦争(2)
2009年4月16日 10:27

★F-1化の証拠
 ホンダを弁護してみよう。

 前述した通り、エンジンの開発が出来ないのであれば、レースに参戦する意味はないと、ホンダがF-1に対して憤りを感じたのではないかと言うのが、ホンダファンのホンダをひいきした想いだ。

 そして、motoGPにおいても、マシンのレギュレーションが、経済危機を口実にどんどん引き締められ、とてもコンペティブなクラスとは言えないものになりつつあり、それと比例して、ホンダのやる気も減少しているように私も感じてしまう。

 では、2010年のmotoGPのレギュレーションの変更予定を見てみよう。青字が、↓のサイトからの抜粋である。

■2010年から適用されるレギュレーション変更

●カーボン製フロントブレーキディスクに関する制限
・カーボン製フロントブレーキディスクの直径は320mmのみとし、質量は2種類とする。

 イコールコンディション重視の悪法。motoGPクラスに相応しくない。

●燃料噴射圧に関する制限
・燃料噴射圧は最大10気圧とする。

 新技術の開発を阻害する悪法。motoGPクラスに相応しくない。

●MMCおよびFRMの使用禁止
・MMC(金属基複合材料)およびFRM(繊維強化金属)の使用は禁止される。

 新技術の開発を阻害する悪法。motoGPクラスに相応しくない。

●タイヤ温度センサーの使用禁止
・タイヤ温度センサーの使用は禁止される。

 新技術の開発を阻害する悪法。motoGPクラスに相応しくない。

●ホイールに関する制限
・2010年から2012年までのリムの幅は各メーカーにつきフロントは2サイズ、リアは1サイズのみとし、ホイール径は16.5インチのみ許可される。

 イコールコンディション重視の悪法。motoGPクラスに相応しくない。

●可変排気システムの使用禁止
・可変排気システムの使用は禁止される。

 新技術の開発を阻害する悪法。motoGPクラスに相応しくない。

●可変バルブタイミングシステムと可変バルブ開閉システムに関する制限
・電子制御並びに油圧制御を用いた可変バルブタイミングシステムと可変バルブ開閉システムの使用は禁じられる。

 新技術の開発を阻害する悪法。motoGPクラスに相応しくない。

●コンロッドに関する制限
・コンロッドの中空構造は認められないが、直径2mmまでのオイル循環用の穴は許可される。

 新技術の開発を阻害する悪法。motoGPクラスに相応しくない。

●ツインクラッチシステムの使用禁止
・DSGとして知られるツインクラッチシステムの使用は禁止される。

 新技術の開発を阻害する悪法。motoGPクラスに相応しくない。

●オートマチック・トランスミッションの使用禁止
・オートマチック・トランスミッションは許可されない。ただし、マニュアルミッションに関しては若干のパワーアシストを許可する。

 新技術の開発を阻害する悪法。motoGPクラスに相応しくない。

●連続可変トランスミッションの使用禁止
・無段変速トランスミッションの使用は禁止される。

 新技術の開発を阻害する悪法。motoGPクラスに相応しくない。

●GPSの使用に関する制限
・GPSはテレビ放送など観客の娯楽を目的にDORNAが供給したもののみ使用を許可され、バイクのいかなる制御系CPUに接続することも許されない。

 ストレートやコーナーごとにサスの特性やエンジンの特性を変える装置は、市販車へのフィードバックとしてはナンセンスなので、これはOK。

●電子制御ステアリングダンパーの使用の禁止
・電子制御ステアリングダンパーの使用は禁止される。

 CBR1000RRのステダンの開発が、これで阻害される。

 最後が一番ホンダのやる気を削いだ気がするが(笑)、総じて、motoGPがF-1化されることを予感させるのに十分な証拠が揃っている。これでは確かにホンダもやる気が無くなりそうだ。

★心境の変化
 余暇を増やして仕事を減らすと、人はもっと知的でクリエイティブな活動を始めると言われているが、実際に余暇を増やして仕事を減らすと、人はテレビばかり見てバカになるということもある。

 同様に、モータースポーツのレギュレーションをゆるめると、新しい斬新なアイデアが沢山生まれそうだが、実際にレギュレーションをゆるめると、新技術など生まれず、排気量をどんどんデカくすることでパワーアップをはかって手を抜くかもしれない。

 つまり、レギュレーションがあるからこそ人は頭を使うという不思議なパラドックスもある。もろちん、究極のイコールコンディションを追及したら、裸足で走るマラソンになってしまったという皮肉な結末もあるかもしれないが。(笑)

 つまるところ、“程度問題”のように感じてしまうが、私が希望したいのは、程度問題を考えてレギュレーションを作成するにしても、進歩思想をどれだけ支持するのか、その信念みたいなものが行間から感じられない限り、レギュレーションは“とってつけたもの”になってしまうと思われ、現在のモータースポーツのレギュレーションも、ほとんどについて底流を流れる信念があまり感じられないことが多い。

 しかし、ライダーのデーウーだけで戦う場にしようと、“イコールコンディション”という信念が強すぎると、FNのように興行的にはうまくいかないと思われるし、観客は、いつでも新技術に対してワクワクしている。なんと言っても、人はオリンピックの水泳ですら新しい水着に注目するくらいなのだから。

 話を戻して、私は、フレディー・スペンサーやケビン・シュワンツやミック・ドゥーハンといった、フロントを軸にリヤを振っていく、肩やヒジを前方に突き出し、上半身が起きたフォームのライダーが繰り広げた伝説的なパフォーマンスに対する思い入れが強かったことで、バイクのレースを、こうしたライダーvsヨーロピアンスタイルのライダーという図式で見る傾向が強く、私が好きなタイプのライダーが少なくなり、ついにはトロイ・ベイリスが引退した時点で、ロードレースに対する興味がほとんど皆無という所まで落ち込んでしまった。

 そして、最近のライダー達のライディングスタイルは、ケニー・ロバーツ・シニアを始祖とする、頭がセンターにある美しいハングオンスタイルと、ジャン・フィリップ・ルジア辺りが元祖と思われ、最近ではベン・エルボーズ・スピーズに代表されるエルボーダウンスタイルの中間のどこかに位置するという風になってしまった。

 しかし、motoGP、あるいは最近ではSBKでさえも採用しているトラクションコントロールと、このライダーの一律化により、今年に入ってからの私は、今度からは、バイクのレースはライダーの戦いというよりかは、コンストラクターの戦いという風に見ようと考えることにした。

 そして、そうした想いが強くなると、自己肯定は人間の常とばかり、私の気持ちを後押しする理論が欲しくなり、林みのる氏のコラムのエントリに出会ったのかもしれないが、これは、男女の出会いのような、偶然が生んだ必然だったのかもしれない。

★チャップマン
 中には意外に感じる人もいるかもしれないが、私はそもそもメカ派の人間である。

 細かく語れば、私はスーパーカー世代の生き残りであり、小学生の時にスーパーカーブームが下火になると、私はたったの1人でF-1に興味を持った。

 当時のF-1は、マシン全体をウイングに見立てた“グランドエフェクトカー”が主流になりつつある過渡期だったが、このグランドエフェクトカーを世に送り出したのが、ロータスの創始者で今は亡きコーリン・チャップマンだった。

 当時のF-1のレギュレーションは、速くなるF-1、というか加熱するグランドエフェクトカーのデザインに対し、チャップマンのアイデアを追いかけるようにしてルールブックの厚さが厚くなっていったが、チャップマンはそんなことは歯牙にもかけず、ルールブックがどんどん厚くなる様を尻目に平気で法律の穴をかいくぐって見せた。

 コーリン・チャップマンが投入する斬新なデザインのレーシングカーは、やり過ぎの感があるくらい、ルールブックの隙間を狙ったイヤミなデザインもあったが、チャップマンはあくまでも、「だってダメって書いてないじゃん」と突っぱねた。

 当時の私は、黙して語らずで、あくまでもルールの範囲内で穏便なマシン開発をする日本人の姿勢よりも、この、“おかみ”に屈伏しない典型的なイギリス人気質のチャップマンに対して子供心に強く惹かれた。(ちなみに、同じイギリス人のマイケル・スコットの文章などに惹かれるのも、同じ理由だ)

 そんな私は大人になり、ロードレースに興味を持ったが、漂白された、骨抜きの、おとといきやがれ方式のMFJ管轄のまともなレースは、イコールコンディションの思想が根強く、マシンコンストラクターを育てるという信念はまるでないように感じられ、日本のアフターパーツマーケットにて、マフラーメーカーしかメジャーにならないのは、コンストラクターを大事にしないモーターサイクルスポーツ界の風潮に原因があるとさえ思えた。

 そこで私は、ヨーロッパのマシンコンストラクターに関する記事ばかり注目し、自分のアイデアで戦うことが出来るシングルレースに興味を持った訳だが、マシンをイジるという意味では、このシングルレースは楽しかった。

 しかし、幸か不幸か、私はただのメカに成り下がっていれば良かったのに、自分自身もマシンにまたがりコースを走ってしまった為に、他人を出し抜くメカニカルなアイデアだけでなく、他人を出し抜くライディングスタイルにも異常な執着心を持ち、前述のスペやシュワやドゥーの走りの分析に傾倒していってしまった。

 しかし、時代は流れ、プロライダーのライディングフォームにも特別違いはなくなり、どのライダーを見ても同じように感じるようになったのと同時に、「ライダー人気便乗作戦」や「人間ドラマ戦略」よりも、モータースポーツはコンストラクターの戦いにした方が興行的にも成功すると思い始めた今年からは、小学生の時のような純粋な気持ちでマシンのメカニズムにのみ興味が持てるようになってきた。

 しかし、そんな私の気持ちを叩き潰すかのごとく、ドルナはマシンの開発に様々な制約を設けてくる訳だが、チャップマンがそうしたように、骨のあるコンストラクターなら、すでにKTMがKARSを取り入れたりするように、法の目をかいくぐってメーカーは新しいアイデアをガンガン投入して頂きたいが、残念ながら日本人というのは、決められたルールの中で最大限努力して結果を導くという思考が強い為に、SBKの排気量制限も半ば強引に引き上げてしまう、「ルールなんてクソ喰らえ」的なドゥカティのようなチームがmotoGPでもSBKでも強いという結果となっている。

 つまり、最初にホンダの肩を持ち、最後にホンダを批判すると、ドルナがどれだけルールを厳しくしようが、コンストラクターはそれに屈することなく、ルールブックには「フレームにカーボンを使ってはいけない」とは書かれていないことをドゥカティが理解したように、新しい技術をガンガンフル投入すべきであり、やる気がないのであれば、インドや中国に道を譲るべきである。日本のメーカー全てが頭数合わせのカワサキのようにならない為に。

 ちなみに、30〜40年も前には、アメリカ人は日本車の存在を鼻で笑っていたが、現在は自分達の国のメーカーが倒産寸前という現実を前に呆然としている。

 しかし、歴史が繰り返すのであれば、インドや中国のクルマの存在を鼻で笑っていた我々の国のメーカーは、今から30年もすれば倒産しているかもしれない。栄枯盛衰という訳だ。(九九しか覚えていない日本人が、3ケタの掛け算を暗記するインド人に負けない理由はない)

 そう考えると、倒産するかしないかは、金が有るか無いかということではなく、チャレンジスピリッツの有無が問題だとも思われるが、日本のメーカーよりもはるかに歴史が長い、ハーレー・ダビッドソンやドゥカティなど、ロードタイプのオートバイしか売らないメーカーが元気が良く、隣の芝生に浮気したメーカーが、成熟後に自らの脇腹についた贅肉に苦しめられ転落する様を観察すると、スケールメリットの欺瞞性と、スモール・イズ・ビューティフルの格言を思い出さずにはいられない。

 しかし、誤解してはいけないのは、ロードタイプのバイクしか売らなければ、ハーレー・ダビッドソンやドゥカティのように、どんどんスケールをデカくして構わないのだ。別にスモール、つまり小さくしている必要もない、ラインがシンプルであれば、規模をデカくすれば当然スケールメリットが効いてくる。しかし、フルラインだと隠れコストが上昇し、気付かない内に問題が肥大化していることが多い。

 そう、重要なのはシンプルさで、シンプルであれば、小さくても大きくても、いつでもビューティフルなのだと言える。

 私が思うに、ホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキといった日本のメーカーは、高度経済成長により肥大化した、ただのメタボリックシンドロームだと思われる。その点、ハーレー・ダビッドソンやドゥカティは、自動車や飛行機やロボットやニューヨークの地下鉄という贅肉がないので、企業として永遠にビューティフルだ。




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