Erv's Letters index | Text by Erv Yamaguchi |
無視される競争の本質 2005年1月7日 17:30 大手薬品メーカーのブリストル・マイヤーズが、バファリンやエキセドリンなどの部門を売却するらしい。ちなみに、すでにブリストル・マイヤーズは、収益の上がらない部門を売却し、新薬の開発などに経営資源を集中させていたようだが、今回の決定もその一環なのだろう。エクセレントである。 ではオートバイに話を移そう。私は繰り返し国内2輪メーカーに対して、フルラインをやめるように訴えてきたが、その理由は、メーカーが自社のブランド作りを軽視し、ブランドの持つ力をフルラインにより破壊し続けてきたからである。一体なぜ、メーカーの人間、更には業界の人間、更には国内2輪専門誌のライター達は、この問題に気付かないどころか永遠に無視してきたのだろうか? それは私の訴えに耳を貸さないからなのだよ。つまり、2輪業界の住人達は、信じられない程愚かだということだ。 しかし、もし彼らが素直に私の言うことに耳を貸すのならば、ホンダ、スズキ、カワサキの3メーカーは、4サイクル並列4気筒車の大排気量車に特化し、中小排気量車の部門は、スピンオフ、閉鎖、もしくは売却するべきである。 さて、ここでヤマハを外したのは、以前にも説明したように、消費者がヤマハに対して、4サイクル4気筒車の知覚が少ないからである。消費者のヤマハに対する知覚とは、長い間2サイクルであった。しかし、メーカーは高価だが効果のない広告費は使っても、2サイクルの地位を死守する気概はないようなので、もし2サイクルをこのまま棺おけに放り込むのならば、ヤマハは別のブランドバリューで生き残るしかないだろう。そして、私が考える、消費者のヤマハに対する別の知覚は、4サイクル空冷単気筒車である。もちろんそれは、SR500/400のことだ。 SRは素晴らしいオートバイである。SRは幅広い年齢層に支持されているが、若い世代に相変らず支持されている所が本当に素晴らしいと思う。 さて、SRは消費者の間で、4サイクル空冷単気筒車はSRという知覚を獲得したが、当然、図体はデカいが子犬のように何にでも鼻を突っ込むホンダは、二番煎じでこのカテゴリーを奪おうと考えた。2度も。 しかし、二番煎じはうまくいかなかった。ここで読者の中には異論を持つ者もいるだろう。ホンダは二番煎じでカテゴリーを奪った経験があるからである。それは、NSRシリーズで、2サイクルレーサーレプリカのカテゴリーにて、RZで始まりTZRまで続くヤマハのオートバイに対し、ホンダはNSR250でカテゴリーの勝者となった。また、YSR50という新たなカテゴリーを作ったヤマハから、NSR50でカテゴリーを奪った。しかし、これは空前のロードレースブームにより、パイが急成長していたことで、性能さえ良ければ“あと出しジャンケン”で勝つことが出来たというカテゴリーである。 しかし、4サイクル空冷単気筒車のカテゴリーは違った。歴史を検証してみよう。ホンダがSRに対して最初に挑戦したのは、GB500/400TTである。このGBという名前は、「グレートブリテン」を彷彿させたなかなか良い名前だった。また、TTというのも、「ツーリストトロフィー」という言葉を彷彿させる、なかなか良い名前だった。しかし、二番煎じの為、SRからカテゴリーを奪うことはできなかった。更に細かく言えば、GBは懐古主義者にとってご法度の、セルモーターと、SRのようなキックを備えていた。これは、才能のある作詞家が、ワザと大衆ウケするような詩を書いて失敗することと似ていた。あなたはピンクレディーが最初から年寄りにもウケるように、演歌のフレーズを曲に挿入していた方が良かったと思うだろうか? あなたは安室奈美恵が最初から年寄りにもウケるように、演歌のフレーズを曲に挿入していた方が良かったと思うだろうか? あなたは宇多田ヒカルが最初から年寄りにもウケるように、演歌のフレーズを曲に挿入していた方が良かったと思うだろうか? 思わないだろう。しかし、ホンダは大衆ウケを狙い、イメージを希薄化する天才である。そしてGBはカテゴリーの争いに負けた。 しかし、ホンダのバカに磨きが入っているのは、更に無駄な争いに挑戦するからである。 ホンダは、次にはCB400SSを投入した。これは本気でバカげている。まず名前が大失敗だ。以前にも記述したが、ホンダの4気筒車の伝統とは何か? それはCBという名前である。昔はCBにも単気筒や2気筒はあったかもしれない。しかし、現代人の知覚にあるCBの意味は、4気筒車である。CB400SSに乗るライダーは、他人に「何ていう名前のオートバイに乗っているのか?」と聞かれた時、何と言えばいいのだろうか? 「CBだ」と答えたとしよう。それはCB1300SFのことだろうか? CB400SFのことだろうか? CBと言えば、この2車を表す通り名になっている。従って、CB400SSでは、多くの人達はオートバイを知覚できない。また、SSというサブネームも全く意味が分からない。ホンダに言わせれば、それは「シングルスポーツ」だそうである。言われなければ分からない。否、言われてもピンとこない。多くの人はSSと聞けば、「スーパースポーツ」だと思うからだ。CB400SSはスーパースポーツだろうか? 否、何も超えていない。スポーツもイメージできない。私がイメージしたのは、ホンダのやる気のないデザイナーの姿である。CB400SSには、前とうしろに消費者が知覚できない名前が使われている。これでカテゴリーを制すことができるのだろうか? 消費者は直感的に感じるだろう。「あぁ、ホンダは二番煎じを狙っているだけで、本気ではないな」と。しかも、例の万人ウケを狙った演歌のフレーズ、つまりセルとキックがついている。バカげている。 SRは何も変化させなくても、息長く売れるオートバイである。しかも構造が単純なので、ひたすらコストを下げることができるだろう。例えば10億円くらいあれば、無人で完成させるラインを構築することもできるかもしれない。そうなれば更に安定収入だ。ちなみに私は個人的にはSRなど大嫌いなので、SRの欠点をしいてあげるのならば、それは最近のディスクブレーキである。SRのフロントブレーキは、長い間悪名高いドラムブレーキだったが、SRを欲するユーザーはこれはこれで別に問題は無かったことだろう。しかし、ヤマハは安全を考えたのか、SRのフロントブレーキをディスクブレーキに変更した。これはこれで仕方のないことかもしれないが、私はそのデザインが気に入らない。オートバイについて“少しは知っている”人間は、オートバイのグレードは、キャリパーを見て判断することが多い。同じルックスのオートバイの場合、キャリパーが2ポットか4ポットかで、グレードを見分けるのである。しかし、ダブルディスクのオートバイならば、キャリパーの裏側が見えづらいので、その違いが分かりにくい。しかし、シングルディスクの場合、まるで背中だけ裸の舞台俳優のように、2ポットキャリパーの間抜けな背面のルックスが丸見え君である。しかもSRの場合は、スポークホイールなので、更に間抜けなルックスが丸見え君である。そして、ドラムのかわりにキャリパーをつけるに当たって、専用のフロントフォークを作らなかった為、とってつけたようなキャリパーサポートを使用している。これが最高にカッコ悪い。正に息の長いモデルの息の根を止めるデザインである。もし仮に私が新しくヤマハの社長に就任した後、このフロントブレーキをデザインしたデザイナーと偶然エレベーターが一緒になった場合、このデザイナーはエレベーターの扉が開いた時にはクビになっていることだろう。 えっ? 何々? いつも話がデカいのに、SRが嫌いだからって話が細か過ぎるって? では自己弁護させてもらおう。メーカーは、こうした細かい部分にこそ神経を使うべきなのである。少しでも手を抜けば、ユーザーはそれを察するのである。人間は小石につまずくのだ、山につまずく者はいない。 話を戻そう。SRが売れ続ける理由は、4サイクル空冷単気筒車を買う場合、多くのライダーは息の長いSRがホンモノだと思うからである。なぜか? それはこのカテゴリーを最初に制したからである。性能と品質は無関係である。仮に、あまりオートバイに対して知識がないライダーが、このカテゴリーのオートバイを買おうとする場合においても、そのライダーは自分の知覚に頼らず、他人の知覚によってオートバイ選びを決定する傾向がある。これが、“周知の事実の法則”と呼ばれるものである。つまり、何も知らないビギナーライダーも、多くのユーザーに支持されているオートバイを敏感に察知し、結果的にCBではなく、SRを買うことに決定することが多い訳だ。 実のところ、私は以前経営していたショップにおいては、SRの客が非常に多く、私自身SRをイジる機会が多かった。そして、SRに対してメカニカルな部分で嫌いな部分が多いのだが、あえてここでそれを指摘しないのは、そうした品質に対するネガティブキャンペーンは、オートバイの販売成績に対して全くなんの影響力もないことを知っているからである。 何度でも言おう。オートバイの販売成績を決めるのは、品質でも性能でもなく、消費者の知覚である。 例えば、アメリカと日本のオートバイの売上ランキングは同じだろうか? ヨーロッパと日本のオートバイの売上ランキングは同じだろうか? アメリカとヨーロッパのオートバイの売上ランキングは同じだろうか? 違うだろう。しかし、オートバイの性能と品質は同じハズである。(細かな馬力の違いはこの際無視してほしい)もし性能でランキングが決まるのであれば、全ての国のランキングは同じにならなければならないハズである。しかし、実際には各国の売上ランキングに違いが生まれるのは、それぞれの国の消費者のオートバイに対する知覚に違いがあるからなのである。 多くのメーカーは、“ベター・プロダクト戦略”に執着し過ぎている。ベター・プロダクト戦略とは、品質や性能の良い商品を作れば、売上はあとからついてくるという考えである。ナンセンスだ。 消費者が重要視するのは、“品質”ではなく、“品質イメージ”である。あなたがホンダ車を買って、どこかがブッ壊れれば、それはたまたま運が悪いだけである。なぜならば、ホンダは品質が良い“ということになっている”からだ。 あなたがドゥカティを買って、何も壊れずに無事に走り続けることができたのならば、それはたまたまあなたが運が良いだけである。なぜならば、イタリア車は壊れる“ことになっている”からである。 実際の品質など関係ないのだ。もちろん、誤解を避けて言わせてもらえれば、品質は高い方がいいだろう。その方がクレーム処理の費用を低く抑えられる。しかし、メリットはその程度である。 商品の争いは、品質や性能の争いではなく、消費者の知覚の争いである。今後益々、馬力を1馬力上げる争いよりも、オートバイのネーミング、そしてマーケティングの方が重要な課題となるだろう。 これまでのホンダの強さは弱さに転化し、代わって他の3メーカーはブランドバリューを築き上げるチャンスが巡ってくることだろう。 日記らしいことを書けば、先日スピード☆スターさんに遊びに行った時に、昨年のロムシー最終戦で病院送りとなった新谷さんから、チョイノリが苦戦しているというニュースを教えてもらった。 私はこのニュースと、百貨店の福袋セールのニュースがオーバーラップした。何でも屋の百貨店は昨年も利益が前年度割れして、益々儲からない業種となっているが、正月のニュースでは、百貨店の福袋セールは大成功だったと報じられていた。ナンセンスである。福袋を買う客は、福袋セールの時にしか百貨店にはこない。つまり福袋セールは“にわか景気”であり、チョイノリを買った客が、成長して隼のオーナーになる見込みも薄い。 スズキの社長はチョイノリがヒットした時には、鼻高々でテレビにも出ていた。しかし、苦戦している現在の心境はどうなのだろうか? スズキの社長はチョイノリを売り出す時に、次のようには考えなかったのだろうか? 「ドゥカティならばチョイノリは売るか?」「ハーレー・ダビッドソンならばチョイノリは売るか?」である。答えは明白である。例え占い師が口をすべらせて、ヒットすることが分かっていたとしても、ドゥカティとハーレー・ダビッドソンはチョイノリは売らないだろう。なぜならば、彼らは“損して得とる”からである。 国内メーカーは、得をとって損する天才である。そろそろこの才能はアジアの他の国々に譲るべきである。 ホンダはCB400SS以外のCBと名のつくオートバイに特化し、他のカテゴリーはスピンオフ、閉鎖、売却すべきである。 スズキはGSXと名のつくオートバイに特化し、他のカテゴリーはスピンオフ、閉鎖、売却すべきである。また、カタナバカ団の方々に対するリップサービスではなく、GSX1100S刀をオリジナルのまま復活させてもいいだろう。 カワサキは、Zと名のつくオートバイに特化し、他のカテゴリーはスピンオフ、閉鎖、売却すべきである。また、多くのZ乗りの方々に対するリップサービスではなく、Z1をオリジナルのまま復活させてもいいだろう。 ヤマハは、若者からの絶大な支持があるので、若者向けのオートバイに特化すべきである。そう、SRとマジェスティはドル箱である。それ以外の他のカテゴリーはスピンオフ、閉鎖、売却すべきである。 この判断を冷徹に行ったメーカーだけが、高い利益率を誇る素晴らしいブランドになることだろう。もう百貨店はやめ、専門店に鞍替えすのである。 なぜならば、今後、否、すでに問題になっているのは、マーケット(市場)でのシェアではなく、消費者のイメージのシェアだからである。 ハーレー・ダビッドソン、MVアグスタ、ドゥカティは消費者のイメージを独占している独占企業である。 『スズキ 「チョイノリ」苦戦 安さだけでは不足?』のニュース ★お知らせ 『アーブの日記』熟読者の方達と結成した社会人サークルである、『ミステリーサークル』では、今年の活動内容について語り合うべく、明日の夜に新年会を行う運びとなった。 場所は、ミステリアスな方々が集う場所としては最適だと思われる、吉兆東京本店なので、ミステリーサークルのメンバーの方は宜しくお願い致します。 吉兆東京本店の案内 |
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