Erv's Letters index Text by Erv Yamaguchi


懲りない同質化 2005年1月21日 21:39

 いつもの調子に戻ろう。

 国内のオートバイメーカー4社は、素晴らしい技術力とアイディンティティーと、愛すべき特徴を持っている。ユーザーもそれを知覚している。
 しかし、メーカーの上層部がこれに抵抗する。そしてメーカーの独自性は失われる。
 理由。同質化である。“同質化”。ああ、なんとも情けない言葉だ。

 みなさんは、いかちょー(いかりや長介)の、“もしもシリーズ”というのを御存知だろうか? もしも、せっかく持っている自社の独自性を捨てて、他社と同質化するオートバイメーカーがあったら? その答えは、「ダメだこりゃ」である。

 メーカーは、それぞれの持ち味を放棄し、右へならえで他社と同質化する。ガンマがヒットすれば、TZR、NSR、KRを発売し、同質化する。ゼファーがヒットすれば、CB、XJR、インパルスを発売し、同質化する。TWがヒットすれば、FTR、バンバンを発売し、同質化する。マジェスティがヒットすれば、スカイウェイブ、フォルツァ、エプシロンを発売し、同質化する。
 なぜ、メーカーは自社の独自性に執着せず、隣の芝生が青く見えるのだろうか? 答えるのは、心理学者だろう。

 もしかしたら、心理学者ではなく、メーカーの上層部は、こう答えるかもしれない。「TWとFTRは違う乗り物だ。よく観察すれば、それぞれが差別化されている」「マジェスティとフォルツァは違う乗り物だ。よく観察すれば、それぞれが差別化されている」
 差別化。なるほど、メーカーは他社に対して、自社の製品を差別化すべく努力しているようだ。しかし、“差別化”は、“独自化”とは違う。なぜならば、差別化とは、同質化を前提に、同質した他社と差をつけることだからである。これは根本的な自己矛盾である。4メーカーは、他社と同質化しながら、その中で差別化を考え、その内容において、更に同質化するのである。どうどうめぐりだ。

 心理学者を登場させよう。企業は、長期的には独自性が必要である。否、独自性が絶対に必要である。しかし、短期的に成績を上げる為には、他社の成功をマネし、その中で商品を差別化することを模索するのである。つまり、同質化を前提に差別化を考える訳だ。この過程を繰り返すことで、メーカーは独自性を忘却するというワナにハマる。

 では、独自性を忘れ、業績が悪化したが、その後、独自性を取り戻して復活した企業を紹介しよう。良い例として。
 それはスバルである。
 スバルは昔、さえない自動車メーカーだった。しかし、93年にジョージ・ミラーが社長になって生まれ変わった。ミラーはスバルに尋ねた。「我々は何が得意なのか?」社員は答えた。「それは4輪駆動です」。ミラーは決めた。「4輪駆動を売ることだけに集中し、トヨタやホンダとの違いを出そう」。スバルは復活した。4輪駆動という独自性で。

 今日、私はバカげた人間をテレビで見た。ソニーの副社長である。ソニーは、業績を下方修正して、株価を下げた。最近では年中行事である。ソニーの副社長は次のように答えた。「もうブランドだけで売れる時代ではなくなった」。バカげている。否、ストレートにバカだ。ソニーが自社のブランドバリューを下げたのは、自業自得である。得意分野にフォーカスせずに、何にでも手を出したからだ。それなのに、自分でブランドバリューを下げておきながら、ブランドでは売れないなどとほざきやがった。繰り返すが、バカである。
 商品はブランドがなければ売れない。繰り返すと、商品はブランドがなければ売れない。商品を売る為には、ブランドを築くことである。スバルは、4輪駆動というブランドを作って復活した。オートバイメーカーで成功しているメーカー、そう、ハーレー・ダビッドソンはVツイン、ドゥカティはLツインでブランド力を強化している。他のものには脇目もふれない。これが強さであり、成功の秘訣である。

 しかし、国内メーカーの同質化をよく観察しても、色々と教訓めいたことは発見できる。では次に、もっとも同質化が著しい、リッタースーパースポーツというカテゴリーを見てみよう。

 昨年のリッタースーパースポーツ車のカテゴリーにて、勝ち組はCBR1000RRとZX-10Rである。負け組はYZF-R1とGSX-R1000である。あなたは、勝ち組と負け組の違いが分かるだろうか? 性能の違い? 品質の違い? デサインの違い? いやそうではない。昨年の勝敗を分けたのは、“過去との決別の違い”である。

 考察しよう。まずはCBR1000RRである。CBR1000RRの前身は、CBR954RRファイヤーブレードであり、その前身は、CBR900RRファイヤーブレードである。CBR900RRファイヤーブレードは、人間が操るに当たって、もっとも丁度良い排気量は、900ccだというコンセプトで世に送り出された。そして、このコンセプトは当たった。当時も今も、900ccというカテゴリーのレースは無かったので、レースの為のホロモゲモデルでもなく、このCBR900RRファイヤーブレードは、強い独自性となった。そして、後に続いたZX-9Rは、二番煎じの為、影が薄かった。しかし、CBR900RRファイヤーブレードは、その後ピポットレスフレームを採用し、954ccまで排気量が拡大された所まで進化したが、もはやJSBなどでGSX-R1000に勝てなくなったので、レギュレーション一杯の排気量のマシンがレース屋から期待された。
 そこにCBR1000RRが発売された。アンチホンダの人達は、いっせいに悪口を言った。「ホンダが提唱していた900ccこそ素晴らしいというコンセプトは何だったのか?」と。しかし、そんなことはビジネスにおいては関係が無かった。CBR1000RRの素晴らしい所は、過去と決別したことである。CBR1000RRは、900ccこそ最も扱いやすいというコンセプトを捨てた。“ファイヤーブレード”というサブネームを捨てた。ピポットレスフレームを捨てた。普通のリアサスペンション形式を捨てた。左側にサイレンサーを出すデサインを捨てた。キッパリ捨てた。つまり、過去との決別が大胆だったのである。これが消費者の目には、独自性と映った

 次行ってみよう。ZX-10Rである。ZX-10Rの前身は、ZX-9Rである。ZX-9RとZX-10Rも、全く別の乗り物と言っていい程、コンセプトが違っていた。ZX-9Rは、どちらかというとストリートユース重視だったが、ZX-10Rは、サーキットでの中高速性能重視の設計だった。つまり、ストリートかレーサーかという位、違いがあった。ZX-10Rは、過去との決別が大胆だった。これが消費者の目には、独自性と映った

 では、負け組を考察してみよう。GSX-R1000は、モデルチェンジしていないので、過去をそのまま引きずった。これではライバルに勝てないのは当然だろう。では次に、モデルチェンジしたYZF-R1はどうだろう? YZF-R1は、モデルチェンジしたにも関わらず、CBR1000RRやZX-10Rと違い、負け組になった。それは、過去を引きずっていたからである。04のYZF-R1は、03のYZF-R1の延長線でしかなかった。マフラーの出し方やデサインの違いは、差別化にはなったが、独自化には至らなかった。そう、競争の激しいこの分野においても、新しい独自性が必要だったのである。CBR1000RRとZX-10Rは、過去と決別し、独自性を打ち出したことが消費者の知覚に深くインプットされた。しかし、GSX-R1000とYZF-R1は、他社との差別化しか消費者の脳にインプットされなかった。これが敗因である。

 次に、今後のリッタースーパースポーツ車の争いでは、どのメーカーが独自性を出せるだろうか? すでにCBR1000RRもZX-10Rも、1000ccというホモロゲの最大排気量はクリアし、ネタ切れと言える。私が想像するに、この2車は、今後別の独自性を打ち出すのは厳しく思える。
 しかし、最も可能性があるのが、ヤマハである。ヤマハはYZF-R1は棺おけに放り込むべきである。そして、YZF-M1を発売すべきである。そう、ロッシが乗っていたあのマシンのレプリカを出すのである。ヤマハには、スズキやカワサキと違って、等爆の並列4気筒車のイメージが薄い。従って、同爆の4バルブのエンジンを搭載した、YZF-M1を発売することで、独自性を打ち出すことが出来る。起死回生である。
 えっ? 何々? YZF-R1を愛すユーザーもいるだろうから、発売するにしても、YZF-R1と併売した方がいいんじゃないかって? ナンセンスだ。あなたは水たまりを飛び越える時に、半分だけ飛んでおこうなどと思うだろうか? 思わないだろう。なぜならば、半分だけ飛ぶことなど無意味だからだ。そう、水たまりを飛び越える時には、躊躇せずに一気に飛び越えなければならない。YZF-R1は捨てるのである。代わりに、YZF-M1という向こう岸に一気に飛ぶのだ。これが独自性の強化である。悪い例を出そう。それは失敗作のスズキのTL1000Rだ。スズキは、TLとGSX-Rの2本立てで1000ccクラスを戦った。消費者は知覚した。スズキの2気筒はテストであって、本気ではないと。TLは失敗した。当然である。メーカーが不安だと考えている車両は、消費者も不安だからだ。
 メーカーはモノを売る時には、自信を持って売らなければならない、不安がっていたら、消費者が買う訳はない。当たり前の話である。しかし、この当たり前の話ができないのが、賢い人達が集まった愚かな組織である。スズキだ。

 スズキのリッタースポーツ車の未来は暗い。独自性のネタがないからである。GSV-Rを出すべきだろうか? いや、motoGPで遅いマシン(オマケに見栄えも悪い)は、消費者に敗北のイメージを与えているので、誰も欲しいと思わないだろう。一体どうすればスズキが起死回生できるか? 非常に難しい問題である。私からの助言は、すでに1000ccクラスでは独自性が生まれにくいので、このクラスはホンダとカワサキに譲ってしまい、撤退するのがいいだろう。かわりに、他のどのメーカーも作っておらず、スズキが作っている独自の排気量を制すのである。答えは750ccである。スズキは、750ccのオートバイにおいて、最高のマシンを造るのである。そしてそれを誇示するのである。スズキが1000ccを捨て、750ccに集中特化したならば、消費者は、何かが起こっていると考えるだろう。750cc、750cc、750cc、お経のようにスズキは繰り返し唱えるのである。消費者は知覚するかもしれない。「もしかしたら、750ccの方が楽しいかも?」。

 決めるのはメーカーである。私の仕事ではない。幸運を祈る。




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