Erv's Letters index Text by Erv Yamaguchi


気になるお布施 2005年6月18日 13:23

 私は小学生の時に、とある宗教に入信した。その後私は、この宗教の熱心な信者となり、お布施なるものを献上もした。
 しかし、この宗教は活動を休止した為に、私がお布施を献上することもなくなった。
 ところが20年もの年月が経ち、そう、私が30歳をも過ぎた時、突然教祖の気まぐれにより、この宗教は活動を始めた。私は以前の信仰心を思い出し、最初は少し喜び、久々に(そう、20年振りに)お布施も献上したが、幼少期の頃のような強い信仰心は失っている自分自身に気が付いた。それは恐らく、幼少期の頃のほうがピュア(純粋)だったというのに、大人になって全てのモノに対して“さめた”目で見る習慣を知らず知らずの内に身に付けてしまったからなのかもしれない…。
 まー、理由は他にも色々と考えられるのだが、以下にその理由を考察してみよう。

 えっ? 何々? それよりも、一体何という宗教なのかって? それは、これを読んでいる読者にも信者は多いと思われる、SW(スター・ウォーズ)教という名の宗教で、教祖はかの有名なルーさんである。
 では、前回の記述にて、私は懐古主義者だということをカミングアウトしたので、今回も文章に一貫性を持たせるべく、「昔は良かった」式の内容にしてみたいと思うのだが、「昔は良かった」の前に、まずは信仰心が失せた理由について語ってみると、20年振りにジョージが我々に提供した祭事は、私にとっては退屈なシロモノでしかなかったことがあげられる。
 もちろんそれは、エピ1とエピ2のことだが、最も私が許せなかったのは、CGIキャラで、私は以前のエピ4〜エピ6の、ブヨブヨゴムゴムした感触のヨーダやジャバに会いたかったのである。従って、動きがアニメのようなCGIキャラはいわずものがなで、コピー&ペーストしたかのような、沢山のロボットの戦闘シーンなどは、まるで最近のmotoGPを見ているかのように、自分自身のマブタが重くなっていくことを防ぐのが困難だった。
 また、もっとマニアックな意見では、ジョージの気まぐれで、『宇宙空母ギャラクティカ』などのメカニカルデザインも担当した、え〜とえ〜と、何て名前のデザイナーだったか?(こんな“ど”忘れも、信仰心が薄れている証拠でもある)まーとにかく、以前のメカニカルデザインの担当者をジョージがクビにしたことも、私の不満を増幅させた。
 私にとってエピ1とエピ2の唯一の救いは、アミダラのナタリー・ポートマンくらいで、(私はナタリーがウルトラ大好きである)アナキン・スカイウォーカーは、なぜかバレンティーノ・ロッシとそのルックスがかぶってしまう。(関係ない話だが)

 では次に、「昔は良かった」に話を戻してみよう。
 昔のSW、そうエピ4〜エピ6だが、単純に言って、エピ4、エピ5、エピ6は、順番に、勝ち、負け、勝ち、のストーリーであり、“負け”のストーリーであるエピ5は、マニアックに語らせてもらえれば、ジョージが脚本を書いていない作品ということで、評論家を気取らせてもらえれば、(異論もあるかと思われるが)SWの中で1番の秀作だと私は考えている。エピ6の『イウォーク・アドベンチャー』の数倍は優れている。そう考えると、作品によっては異論もあるかと思われるが、多くのシリーズものは、いわゆる“ツー”はヒットするが、“スリー”以降はとってつけたような作品が増えていき、最もそれをよく表しているのが、私が別に入信もしている宗教である、『エイリアン』などだ。
 『エイリアン』もまた、“ツー”はキャメロンが担当し、“当たり”作品となったが、“スリー”は、映画を撮影している時に、脚本が出来上がっていなかったことで大失敗となった。“スリー”のデビット・フィンチャー監督は、映画が出来上がった後には、次のように述べている。
 「脚本は撮影の前に完成しておくべきだ」
 名言だと思う。

 まー、色々と語ってきたが、SW教においては、教祖のルーさんいわく、信者がお布施を支払うのも、今年が最後とのことなので、信者として、この夏に再び信仰心に目覚めたいと思う。“負け”のストーリーを期待して…。
 お布施を払うのもまったくメンドークセーな〜!

http://www.starwars.com/

 えっ? 何々? 『前のりティリポート』は、“ツー”以降からすでにとってつけたようだって? アイタタ…。(笑)




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