Erv's Letters index | Text by Erv Yamaguchi |
レミング 2005年10月18日 20:25 無理ヒザで“うしろのり”の中年ライダーの中にも、『アーブの手紙』を愛読している方がいるようだ。(笑) という訳で、サイトを運営していると、様々な方からメールも頂くが、「シートの前の方に座ってライディングしているので、自分も『前のりティ』なのではないか?」とか、あるいは、最近のスーパースポーツ車に乗っていれば、自然とシートの前の方に座ってしまうので、前乗りなど珍しくもなく、シートの前の方に座るライダーはマイノリティーではないとい主張する者まで現れたようである。 私は広義の話をしている訳ではないと言うのに…。┓(´_`)┏ ここでバカ丁寧に解説すると、読者の数が増加するので、イジ悪して、行間から全てを察することが出来る人間をスクリーニングしたいとも思うが、あえて狭義を語らせてもらえれば、私が対象としている『前のりティ』の中で有名なのは、ケビン・シュワンツ、ミック・ドゥーハン、ノリック、キタリンの4人である。 もうこれだけで充分な説明だろう。もしあなたがグリップ走行に徹していれば、あなたは私の興味の対象外である。シートの前の方に座っていても、である。 逆に、シートのうしろのほうに座っていても、仮にあなたが華麗なスライドコントロールを身に付けているのであれば、私はウェィン・レイニーのようなあなたを尊敬することだろう。 さてさて、話はコロッと変わって、キタリンの日記にて、フライバイワイヤについて書かれていたが、私が若い頃は、お客さんなどから、「山口さんはアクセルワークがないから、いっそのことアクセルはスイッチにした方がいいんじゃないですか?」などとよくからかわれた。そう、私のアクセルコントロールには、“パーシャル”というものがなく、全閉か全開かどちらかといった感じだったので、自分自身、スロットルを回すのがメンドーだと思っていた。 そう、例えば、コーナーの後半で、「今からアクセルを開けられる!」と思った瞬間には、どちらかと言うと、ボタンを押すとジェットエンジンが噴射して加速するようなイメージでアクセルを回していたので、その時にタイヤがスライドしようが、どうでも良いといった感じで、実際に私はよくそのまま転倒していた。(笑) タイヤのグリップを確かめながら、チマチマアクセルをコントロールするなんて、江戸っ子で気が短い私には到底無理な話だった。私は、どちらかと言うと、ワイドープンでリアタイヤが流れり、あるいはウィリーしてしまったら、それを体のバランスでなんとかするテクニックを身に付けたいと考えていた。そして、そのイメージを具現化していたのが、ケビン・シュワンツ、ミック・ドゥーハン、ノリック、キタリンの4人だった。私は彼らを見てワクワクした。そして、他のグリップ走行のスタイルのライダーに対する興味は皆無となった。そして、ケビン・シュワンツ、ミック・ドゥーハン、ノリック、キタリンの4人のライダーの走りを穴があくほど観察してみると、彼らには共通点があった。そう、彼らは、皆コーナーリング中に、他のライダーに比べて、上半身が起きているのである。結果、ハンドルを握る手は、頭の前に差し出すイメージの“うしろのり”ライダーに対して、ヘソの辺に持ってくるようなライディングフォームになり、、結果的に彼らはシートの前の方に座っていた。つまり、座る位置よりも、上半身の姿勢が重要だと私は考えた。『前のりティ』にとっては、これが全てである。 別に異論があろうが反論があろうが関係ない。これは私の定義であり、そもそもあなたには関係のない話なのだから。 私は他人にライディングテクニック等を教えて金をとろうなどという高慢ちきな人間になるつもりは無い。逆である。私は高慢ちきな人間の鼻をあかしたいのだ。 他人に簡単に説明できるほど分析されたテクニックは、まるで月曜9時のフジテレビのトレンディードラマのように、あくびが出る程退屈だが、なんだかよく分からないが速い、という走りは、初めてのキスのように、ドキドキするものである。 何だかよく分からない走り。最高である。教科書通りの走り。退屈である。 しかし大衆は、レミング(ネズミの一種で、数が増加すると、海に向って集団自殺する)のごとく、教科書に興味を示す。そして皆同じスタイルで走る。退屈な集団ができる。『ライダースクラブ』誌の売上は向上する。自由の象徴であるオートバイという乗り物は、横並びの道具に成り下がる。そして私は横並びに対する強い嫌悪を持ち続けることとなり、異端に対する深い敬愛を抱くこととなる。 えっ? 何々? 理由はって? 独りっ子だからじゃないの?(笑) 敬愛する独りっ子のキタリンのHP |
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