Erv's Letters index | Text by Erv Yamaguchi |
守るべきもの 2005年11月28日 18:03 先日、K-1という格闘技を観ていたら、武蔵という日本人選手のキャッチコピーが、“努力の天才”となっていた。ん? 努力の天才? これは、何かのジョークなのだろうか? それとも、“軍隊の知性”とか、“乗りやすいスズキ車”といった、逆説的比喩の一種なのだろうか? まー、どうでもいいのだが、最近では、“乗りやすいスズキ車”というのは、逆説的比喩ではなく、“美人な伊藤美咲”といった、全く面白くないフレーズに成り下がったような気がする。 まー、それも“正常進化”と言われればそれまでなので、天邪鬼を気取ってそれを批判してもしょうがないのだが、正常進化し、“乗りやすい”と評判だった05のGSX-R1000は、売れたのだろうか? 聞くところによると、05のGSX-R1000、いわゆるK5は、チタンの供給不足で、沢山売りたくても生産台数に限界があったとのことだが、チタンの供給が間に合っていたのならば、沢山売れたのだろうか? ストレートに言えば、2年前のCBR1000RRやZX-10Rに比べれば、それほどセールスが成功したとは言えないような気がする。 さて、オートバイに限らず、モノを売る会社の社内には、“マーケティング派”と、“商品派”がいるが、“商品派”は、商品を売るには、“質”が重要だと考えている。ベター・プロダクト・戦略と言っても良いが、分かりやすくスーパースポーツの世界で言えば、“商品派”は、ぶっちゃけ性能が良ければ売れると短絡的に考えている。しかし、K5はワールド・スーパーバイクでチャンピオンになったというのに、レースの成績とセールスの成績が直結していないように私は感じている。 では、デザインが重要なのだろうか? そう、マンションがエントランスに金をかけ、女性がお尻に化粧はせず、顔面にコストを集中させるように、オートバイにおいても、“見かけ”は重要なのかもしれない。 しかし、このデサインにおいても、個人の趣向が問題となるので、デザインのみでセールスの良さが生まれる訳ではない。 重要なのは、何が優れているか? ではなく、何が新しいか? である。 CBR1000RRとZX-10Rは、それまでリッタースーパースポーツをリリースしていなかったメーカーから発売されたので、全てが新しかった。従って、まだレースでの実績を出していないというのに、消費者は心を開いた。 これまでの私は、「ブランドが大切だ」と訴えてきたので、読者には違和感があるかもしれないが、面白いことに、人はブランドに対しては心を閉ざす。「当社のオートバイは性能が良いです」と言っても、「そうかもしれないが、オレは絶対にホンダ車には乗らない」とか、そうした調子のことである。 しかし、人は新しいものには心を開く。そうした意味では、すでにリッタースーパースポーツをリリースしていたGSX-R1000とYZF-R1は、マーケティング的には不利になるのだ。 しかし、である。すでに4メーカーが出揃うと、もうこのカテゴリーに新しさはない。従って、リッタースーパースポーツ車の販売成績は、今後はブランドの支持者の数に比例したセールス数に落ち着くことだろう。 やっとブランディングの出番だ。 ブランドとは、消費者の忠誠心のことである。では、4メーカーの中で、最も顧客の忠誠心を集めているブランドはどこだろうか? 私はカワサキだと思う。なぜならば、カワサキはV型のスポーツバイクを作っていないからである。他のメーカーは、V型とパラ4のオートバイを作っていて、ホンダなどは、社内でVF派とCB派が争っていた。バカげている。しかし、ようやくVFがなくなったかと思いきや、motoGPではV5を出してきてこの問題をむしかえした。ストレートにバカだ。 また、ブランディングにとって重要なのは、カラーリングである。この点においても、カワサキは優れている。スズキもまーまー優れている。ホンダは伝統的なトリコロールを使わず、ヤマハも伝統的なストロボカラーを使わない。素人が見た場合、どちらも似たようなカラーリングに見える。この2社はブランドについて無知だ。(あなたも日本GPの観客席を観察すれば、ドゥカティとカワサキのユーザーの忠誠心に感心したことだろう) スズキはV型をあきらめるべきである。ホンダはパラかVのどちらかをあきらめるべきである。犠牲なくして戦略は有り得ない。カワサキとヤマハは、V型は一生作らないと心に誓うべきである。そもそもV型は、ドゥカティとハーレー・ダビッドソンの専売特許みたいなもので、このブランドに立ち向かうのは、労多くして報われないだろう。 色々と語ってきたが、メーカーの人間がブランドについて全く関心を持たず、永遠にブランドバリューを失墜させるかのごとく、ラインを拡大するさまは、ネバーエンディング・エンド(終わりのない終わり)といった調子だ。 しかし、これが許されているのは、実の所、アジアとBRIC's(ブラジル・ロシア・中国・インドなどの新興国)にて、オートバイの販売が好調だからである。私に言わせれば、motoGPから撤退して、国内販売もやめたほうがいいんじゃないかという位、ホンダ、ヤマハ、スズキは、こうした国での儲けのほうがデカくなっている。この様子を傍観していると、彼らが大切にしているのは、ブランドではなく、製造ラインのような気がしてくる。 そうした意味では、こうした国での販売量が少なく、国内ではエプシロンというバカげたスクーターは販売しているが、それ以外はスクーターは売っておらず、4気筒のイメージを大事にし続け、メーカーのイメージカラーに固執しているカワサキは、ドゥカティやハーレー・ダビッドソンに近いメーカーだと思う。 もっと分かりやすく記そう。 ユーザーのメーカーに対する忠誠心が強いブランドを順に記すと、カワサキ、スズキ、ヤマハ、ホンダ、である。この順番は、性能の良さの順だろうか? この順番は、レースでの成績の順だろうか? この順番は、ラインの狭さの順である。 答。ラインを絞るとブランドが築かれる。ラインを広げるとブランドは失われる。 ホンダとヤマハが抱える問題は、すなわちブランドの問題である。カワサキとスズキは、アプリリアの二の舞になってはいけない。ホンダとヤマハの2メーカーは無視するべきである。ラインを広げる金がないから、手を組んでラインを広げようなどという発想は、愚の骨頂である。 最後に、K-1が面白くなくなったのは、ラインを広げたからである。相撲取りは相撲をとるべきであり、K-1に必要なのは、立ち技以外の技を持った選手を集めるのではなく、立ち技が驚異的に得意な選手をもっと集めて、そのブランドを守ることである。 |
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