Erv's Letters index | Text by Erv Yamaguchi |
逆転した立場 2006年8月13日 19:11 私はレーサーレプリカ世代である。しかし、『レーサーレプリカ』という言葉は、現在では死語となっている。理由。固定客のエイジング(新規顧客がつかめないために顧客層全体が高齢化すること)により、メーカーがレーサーレプリカ車を棺おけに放り込み、現在では全車が墓場で眠っているためである。 では、レーサーレプリカが死滅した後、メーカーはどのような行動をとったのだろうか? メーカーは2つの戦略を採用した。1つは、エイジングした“昔の顧客”が、小金を持った中年になったことに目を付け、レーサーレプリカよりもより高価なスーパースポーツ車を用意したのである。 一方、中年ライダーに比べれば、大した金を持っていない若者達、つまりは新規顧客に対しては、ストリートバイカー系の安いオートバイを提供し、マーケットは二極分化することになった。 しかし、である。ここで問題が発生した。メーカーはスーパースポーツだけを売る販売チャンネルを展開しなかったため、顧客はイトーヨーカ堂でシャネルのドレスを買うハメになった。つまりは、中国産のスクーターを視界に入れながらCBR1000RRを買うハメになった。 ここに目をつけたのが海外のメーカーであり、ドゥカティとハーレー・ダビッドソンは、小金を持った中年ライダーが気分良く買い物ができる店舗を作った。同じ外車でも、こうした高級車専門店のイメージの販売チャンネルを持たず、既存の量販店に業務販売するだけのアプリリアやトライアンフの日本への進出は、今のところ目覚しい失敗に終わっている。 さて、こんな記述は、別にラジカルでも挑発的なものでもなく、冷めた視線のインターネットの住人の方々なら、誰でも普通に思っていることだろう。 それでは次には、『アーブの手紙』のエッセンスを展開するとしよう。 ところで、国内2輪専門誌はいわずものがなだが、インターネット上ですら、オートバイの話のネタと言えば、昔は性能のことが中心となっていた。そして、雑誌とインターネットの違いは、雑誌は悪口を書かず、インターネットは悪口が書ける点であった。 しかし、現在のスーパースポーツを見る限り、オートバイの性能や品質において、特に悪口もなくなっている。なぜ、インターネットの住人達は、オートバイの性能に関して悪口を言うというミッション(任務)を放棄してしまったのだろうか? そう、現在は同質的商品の時代なのである。最近のオートバイの中には、もう“悪い”オートバイなどないのだ。どのオートバイも良く出来ている。良く出来すぎていると言ってもいい。あまりにも性能が良いために、悪口を言おうものなら、「オマエはそれを使いこなせているのか?」と、逆に他者から悪口を言われる始末だ。 逆説的に言えば、全てのオートバイの性能は、“ドングリの背比べ”(似たようなもの)なので、オートバイ選びの主導権は、パーペキにライダー達に握られている。レーサーレプリカの時代のように、性能の良いオートバイを作ったメーカーが主導権を握っていた時代と比較すると、メーカーとライダーの立場は完全に逆転したとも言える。 そして、“似たような”性能のオートバイを購入するライダー達は、むしろ、“メーカーの姿勢”などを褒めたりけなしたりと言った対象としてブログのネタにでもすれば、その方が販売成績に影響が出ることだろう。 また、私はことあるごとに、ドゥカティやハーレー・ダビッドソンを持ち上げてきたが、なぜならば、これらの外車には、国産車にはない“ブランド力”が備わっており、言ってみれば、メーカーの姿勢といったものは、その名前がプリセル(事前販売)していることが、圧倒的な優位性だと考えていたからである。 しかし、中年ライダーは、すでに裕福な生活や消費習慣にも慣れ親しんでしまい、ローンなどの支払い方法の多様化から、最近ではドゥカティやハーレー・ダビッドソンのありがたみも薄れてきている。現実的に、ドゥカティやハーレー・ダビッドソンは多くの人にとって手が届く存在になってきた。 そして、現代の“冷めた”目線のライダー相手では、ブランド力を使って人の心を躍らせることにも、もはや限界が現れ始めている。 一体ライダー達は、他人に差をつけ、個性的な自分を演出するには、どうすれば良く、メーカーはそれに対して、どう応えれば良いのだろうか? こうした考えは、実のところ、全くナンセンスである。 現代人は、より個性的になっていると考えるのは、問題を一面的にしか捉えていない。現代人は、より“集団に帰属したい”と考えているのである。 これまでの社会では、好むと好まざるとに関わらず、人々は自然と集団に帰属していた。しかし、である。学歴社会や終身雇用制は崩壊し、人々は結婚しなくなり、宗教団体や政治的な組織に対する信頼もない現在では、人との関わり合いというものは、どんどん希薄になってきている。 大昔のこと想像してみよう。原始人は、住んでいる土地や、狩猟採集などの行為により、社会的集団の中で、ゆるい人間関係を築いていた訳だが、こうした集団に対する帰属意識が希薄になった現代人は、原始的な、他人と結ばれることに対する強い希求が生まれ始めているという研究者もいる。 例えば、である。ドゥカティに乗るライダーが、道路で同じドゥカティに乗るライダーを発見すれば、追いかけてそのライダーを確認したくなる。別に友達になろうと思っている訳ではない。相手も自分と同じハイセンスなライダーであることを確認したいのである。あなたも、こんな自己同化の喜びを体験した経験はないだろうか? また、親愛なるきたりんは、mixiのコミュニティや、ブログのリンクは、自分の属性表明だということがよくある。つまりは、現代人は、あたかも孤立して生きている印象があるが、実は趣味や価値体系によって、ゆるく結ばれているのである。 たしかに、インターネットの住人は、現実世界のモテ系の人に比べれば、より内向的で、人目もあまり気にしない。しかし、この上辺の個人主義の下には、他者と結ばれたいという強い意志の表れがある。つまり、ライダーが“私”と言う場合は、その時点で、自分と同じような目標や、同じ動機やモティベーションを持っている多くのライダーを指しているとも考えられる訳であり、このことを、コレクティブ・アイ(集合的わたし)と呼ぶ。 例えば、である。見ず知らずのライダー同士がブログやmixiで知り合い、初めてサーキットで顔を合わせても、相手の本名やプライベートにはそれほど興味や関心はない。サーキットで一緒に走る仲間と言った、ゆるいつながりだけを重視する。 むしろ、テキスト系ライダーにとっては、ライダー同士がある種の距離感と匿名性を保つことが重要で、『アーブ山口』とか『きたりん』と言った、HN(ハンドルネーム)がライダー自身のアイディンティテイになることも多い。 一体なぜ、絆を求める人が自分の正体を隠すのだろうか? かの有名な『電車男』を研究すれば、匿名性がかえって強い絆を生むケースがあるということが分かる。(もっとも、私やきたりんに関しては、ほとんど全てをディスクロージャーしているが) もう少し詳しく解説すると、もし誰かが、ドゥカティ愛好家であったとしても、その人は年がら年中イタ飯を食べなければいけない訳ではなく、バイク以外の生活においては、より多面性をキープしたいのである。つまり、バイクに熱中したとしても、それは自分の中のごく一面だとしたいからであり、この多面性志向こそ、匿名性が好まれる理由である。 しかし、である。話を元に戻せば、自分が属していると考えるコミュニティでは、同じ行動をとっている人との自己同化を希求するのが現状人の特徴であり、今後メーカーは、個性も大切だが、ライダー達のコレクティブ・アイを研究することが、スーパースポーツの販売において、サイレンサーの位置よりも重要な要素になるだろう。 試しに、メーカーのマーケティング担当者は、ブログやmixiのコミュニティをのぞいてみれば、ミニサーキットで生まれた、中年ライダー達のサブカルチャーにより、多くの中年ライダーがスーパースポーツに乗りたくなるような、ごく自然なインセンティブ(動機付け)がそこにあることに気付くことだろう。 サイレンサーの焼け具合を紹介するといった、シェア・オブ・ボイス(同業他社の総広告量に対する自社広告の視聴率割合)が限りなくゼロに近いバカげた広告予算があるのなら(バカヤマハのことだよ)、雑誌広告などキッパリやめてみてはいかがかな? こちらは、バカげた広告を見るたびに、むしろ君達に対するイメージが悪化しているのだよ。 それと、カワサキは、銭ゲバ企業(ホンダのことだよ)のことなど意識せず、まー、中野選手を雇ってしまったので、しばらくはしょうがないが、中野選手の賞味期限が切れ次第、当初の予定通り、雑誌広告から撤退したほうが身の為だよ。 そして、脳天気ガリバー企業(再びホンダのことだよ)以外のメーカーが雑誌広告から撤退すれば、そのメーカーはサブカルチャー層からの支持を得ると共に、単純に広告費の節約により、利益率は向上することだろう。おめでとう。 更に言えば、全ての雑誌にホンダの広告しか載らなくなれば、アンチホンダの人達の、「ホンダクソ食らえ!」の結束は高まり、アンチホンダの属性表明をしている人達の強い絆が生まれることだろう。ホンダ以外のメーカーは、こんなに美味しい広告の逆説性を利用しない手はない。 そしてホンダのマーケティング担当者へ。いや〜、motoGPのテレビ放映でスクーターのCMを流すバカヤマハと違い、CBR1000RRのテレビCMや、CBR1000RRのイメージで押す『レオン』の広告も良かったよ〜。新たなホンダ党の誕生に乾杯! そしてそのまま王道マーケティングで突っ走ってください。 人には向き不向きがあるのだ。 |
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