Erv's Letters index Text by Erv Yamaguchi


走り系非コミュライダー考現学(ライダー向け)
2008年2月1日 21:04

 1発当てたセレブラッパーも、国内2輪専門誌に登場するブリンブリン(BlingBling:主に成功したセレブ黒人が好む、金やダイアモンドをちりばめたハデなファッション)ライクなニュースクールのカスタム車も、共にクソだ。
 理由。これらには、「ストリートで生きる怒り」はない。つまり、セレブラッパーもブリンブリンなニュースクールカスタムも、共に金に魂を売り、資本主義社会に飼い慣らされたニセモノに過ぎない。

 巷では、流行りそうなネタだと、ニュースクールのカスタム車にむらがる低俗な国内2輪専門誌で溢れている。代表は、ライダーの敵たるぼったくりショップも厚顔無恥で平気で紹介する『ロードライダー』誌だろう。嗚呼、文字にするだけでも胸クソ悪くなる。(注:品行方正なショップは、イメージが悪化するので、絶対にこの雑誌に広告を出すべきではない)
 こうした雑誌を利用して儲けるぼったくりカスタムショップは、編集長や編集者から要求されるサービスや広告費に対するバーター(交換条件)として、自分の店で作ったカスタム車に関する提灯記事をでっち上げる。それを見た騙されやすい大衆は、雑誌に書いてあることを鵜呑みにし、その店に通いはじめ、結果的に大金を巻き上げられるのだ。つまり、こうしたショップは盗っ人の親玉に他ならない。

 しかしあなたは、こんなクソ雑誌に騙されて、お高くとまるクソカスタムショップなどに出入りしてはいけない。否、むしろこうしたショップに群がるライダー共を敵視し、ストリートだろうとサーキットだろうと、カモとしてターゲットにすべきだ。
 そう、あなたは絶滅の危機に瀕している、古き良きローン・ウルフ(一匹狼)のアウトローを目指して、速さのみを追及するのだ。

 しかし、かと言って、速くなる為に1人でコツコツと練習して上手くなろうなどというのも考えが甘い。ましてや、他人の教えに従うべく、レーシングスクール等に通うのは愚の骨頂である。あなたは他人とのバトルでのみ自分のウデを磨かなくてはならない。そうして他のライダーと切磋琢磨しながら自信とテクニックを体得していくのだ。(それを証明したのが、私が主催していたロムシーである)

 お金を支払ってくれる大切な顧客を平気でオマエ扱いするお高いカスタムショップのバカ店長共、自分がエラいと思っている勘違いもはなはだしいレーシングスクールのバカインストラクター共、パンピーライダーの忠誠が欲しいって? 犬でも飼えよ。

★クリアすべき課題
 そうは言っても、バイクというのは機械の一種なので、もしかしたらば、あなたはメカオンチかもしれない。その場合はどうすればいいのか?
 心配することはない、あなたに速さを追及する信念があれば、商売はターヘー(下手)だが、必ず湾ミの北見チューナーのようなメカがいる店を嗅ぎわけることができるだろう。否、嗅ぎわけることができなければ、そもそもあなたに見込みはない、とっととクルマでも買って女でも作りたまえ。
 話を戻して、北見チューナーのようなメカは、商売はターヘーである。逆説的に言えば、商売がうまい奴にロクな奴などいない。従ってあなたは、雑誌などに頼らずに、自分の足でオンボロショップを探し求めるのだ。
 そして、運よくマシンのメンテが出来るようになれば、あとはコマケーことは気にせず、とにかく前を走る奴をブチ抜くことを考えれば良い。あなたにとってモノを言うのは、チームでもインストラクターでもなく、ましてや国際ライダーのありがたいアドバイスでもない、あなたに必要なのは、あなた自身のハングリーさのみである。言いたいことはそれだけ、で、ある。

★マシンセレクト
 もし手元にバイクがないか、あるいは次期マシンを検討しているのならば、用意できる金で買える1番速いマシンを迷わずセレクトすべきだ。ファイナルの変更も出来ないバカげたビューエルとか、アルミの溶接も出来ないイタ公が作った見栄をはるだけのドカなどを買って、自分の遅さの免罪符にしようなどと考えるのは、負け犬のやり方である。
 えっ? 何々? そんなタケー割に遅いバイクなど、最初っからアウト・オブ・眼中(昭和のフレーズ)だって? いいぞ、その調子だ。
 えっ? 何々? ビューエルやドカで、国産SSをデーウー(腕)だけでカモってやるって? ポルシェに乗ると眠くなるという、不可抗力に無駄な金持ちならば、それはそれでアリだ。(貧乏で軟弱な奴よりも、金持ちで硬派な奴が個人的に好きだ)
 話を戻して、しかし、一番速いとは言っても、肌に馴染まないバイクは買ってはならない。そう、セレクトの基準は、国際ライダーの意味不明なインプレなどではなく、マシンにまたがった時に感じる、「これならイケる感」こそがトッププライオリティー(最優先事項)である。
 この、「これならイケる感」があれば、ライバルとのバトルにて、地獄まで心中できる気分でライディングに没頭することが出来るだろう。逆に、どれだけスペックに優れていても、ライダーがマシンに対して、「これならイケる感」がなければ、まるで配偶者の親戚との会話のように、いつまでたっても思うように走れないことだろう。
 国内2輪専門誌とは、一言で言ってクソなので(正確にはクソミソ)、「これならイケる感」などと言った抽象論は絶対にクチにしないが、私は何度でも強調したいと思う。「これならイケる感」「これならイケる感」「これならイケる感」。もちろんセックスのことではない。

 しかし、肌が合うマシンならば、ライディングスタイルはセックス同様フリーでいい。

★愛すべきライバルの醸成
 ストリートだろうとサーキットだろうと、走り屋が集まるスポットに行けば、あなたより速いライダーがいることだろう。そうしたライダーを発見したら、来る日も来る日もそのライダーの背中を追うべきである。そう、グンがヒデヨシを追いかけていた日々のように。そして、ライバルを追いかけている行為において、理論もへったくれもないのだ。タイヤが滑ったらカレーライスにでもして食べれば良い(巨摩郡の名ゼリフ参照)。とにかく追うことだ。ひたすら。
 もちろん、自分より遅いライダーを仲間に引き入れて安心するなどと言うのは愚の骨頂であり、そこが峠ならば、文字通りの“おやまの大将”である。そしてそこがサーキットならば、シロウト集めて鼻を高くしているおめでたい国際ライダーのようなギガンティックバカスである。(ギザバカスの更に上の意)

 話を戻して、こうした、「ライバルを執拗に追いかける姿勢」により、ライバルから吸収するべき部分は吸収し、ライバルにない自分の利点は、更に伸ばすことが出来るだろう。そうすればおのずと自分のスタイルの方向性も見えてくると同時に、マシンのセッティングの方向性も分かってくるだろう。こうした過程で自分のアイディンティティーが確立されれば、ママのオッパイを欲しがる子供のごとく、分からないことは雑誌やスクールだのみというライダーに対して、あなたは大きなアドバンテージを得ることになる。
 また、このアイディンティティーには、他人に聞かなければ物事が判断できないというライダーに対して、自分の頭で考えることが出来る“セッティング能力”という名の資産が含まれているので、あなたは今後永続的に“応用力”という名の配当を手にすることが出来るだろう。

 つまり私は、何も根性論が全てを解決すると言っている訳ではなく、弁証法的唯物論について語っているのだ。そう、弁証法とは、創造→破壊→新たな創造という過程によりヒトが前進することを表しており、唯物論とは、ロマンチックな希望よりも、食欲(ハングリーさ)の方が確実かつ徹底的な変革の基礎であるという意味である。そして、かのヘーゲルは、「人類を進化させるものは、対立物の闘争だ」と語ったが、あなたにとってライバルの存在は、フレディー・スペンサーにとってのケニー・ロバーツ(シニア)や、ケビン・シュワンツにとってのウェイン・レイニーのように、あなたの進化にとって絶対に必要不可欠なものである。

★弁証法的唯物論
 雑誌やレーシングスクールの教えを盲信するタイプのライダーは、私が想像するに、幼少期に学校や塾に通い過ぎて頭がイカれた連中だと思う。つまり、学校や塾においては、ひたすら分かりきった解答が用意されたテストが繰り返される訳だが、生徒達は、学校を卒業すると、テストの内容はすっかり忘れてしまうというのに、テストを受ける習慣だけは身につけてしまい、問題があると、答えはひとつだけだと反射的に考えてしまうようだ。
 しかし、レーシングマシンを観察してみると、世の中のレーシングマシンで、完璧なレーシングマシンなど存在しない。全てのレーシングマシンは、目前のライバルに打ち勝つ為の妥協の産物である。レーシングライダーやエンジニア達は、そのことを熟知しており、マシンの開発やライディングスタイルの構築においては、極めて謙虚な姿勢で望んでいる。彼らには他人に何かを教えるなどという発想はなく、そんなヒマがあれば、何か次の仕事がないか考え始めることだろう。つまり、ライダーやエンジニアにとって重要なことは、レーシングマシンやライディングスタイルが、完璧か完璧でないかということではなく、“完璧を目指す姿勢”なのである。

★おわりに
 ちまたでは、ネットvsマスコミ論が盛んだが、2輪業界はこの分野では遅れているので、おごり高ぶりを気にせず言えば、この分野では私が第1人者になるかもしれない。そして、もしそれが本当のことになれば、私の目前には前例はないことになる。つまり、こんなに自由な世界もないので、私はこの自由を満喫してみようと思い、今回は、インターネットと親和性の高い名もない非コミュライダーの中でも、“走り”に重点を置くライダーの精神的支柱を支えてみようと思った。
 私が主にバイクに接した80年代は、ストリートでもサーキットでも、走り屋は皆プライベーターで、そうした似たような10代から20代前半のプライベートライダー達が皆コーナーを攻め立てていた。そんなライダー達が憧れていたのは世界GPであり、私はマイケル・スコットやアラン・カスカートの記事が掲載されている『サイクルサウンズ』誌を読んで、モーターサイクルスポーツに対する知的素養を豊にしていった。そう、世界GPとは、世界の頂点に君臨するモーターサイクルスポーツであり、そこで活躍したライダーやマシンを紹介する、真のジャーナリズムを持ったイギリス人ジャーナリストの文章に対して、若き日の私は心を躍らせていたのである。
 しかし、『サイクルサウンズ』誌は廃刊になり、今日までの間に、他の国内2輪専門誌は、私の国内2輪専門誌に対する好意を完全に浪費した。
 しかし、国内2輪専門誌は、自分達の書いた記事がライダー達をだましているとか、ウソをついているという自覚は全くなかった。自覚がないどころか、当人達はその有効性をかたく信じていた。
 そうこうしていると、世の中は格差社会となり、セレブ文化なるものが登場した。テレビに出てくるセレブと呼ばれている人達を観察すると、彼らには何の取り柄もないことが私には理解できた。彼らは、多くの人に名前を知られているからセレブなのであり、パリス・ヒルトンや叶姉妹などを観察してみれば、有名であることは能力と何の関係もないことがあなたにも理解できるだろう。セレブとは、特別な能力や業績など必要なく、有名でさえあればそれで良いのである。そう、極論すれば、電通であれば誰でもセレブに仕立て上げることが出来るだろう。
 そして、非常に軽薄なことに、国内2輪専門誌もこのセレブ文化を自分達の紙面に取り入れることに成功した。つまり、能力や業績等はテキトーにでっち上げたニセモノが紙面に登場し、その人達が有名となり、有名であることでセレブになったのである。こうして、2輪業界は奇妙なセレブ文化に染まってしまった。私が思うに、国内2輪専門誌に書かれたバカげたウンチク論は、叶姉妹のパイオツと同じで、人目はひくが中身はニセモノである。
 では、なぜ真のジャーナリズムが存在していた『サイクルサウンズ』誌は廃刊になり、バカげた内容の『ロードライダー』誌などが生き残っているのだろうか? 恐らくその理由は、海外の情報を伝える『サイクルサウンズ』誌には、国内をマーケットとする企業の広告が入らず、国内の企業の広告が容易に入る雑誌とは、国内の商品を紹介することが全ての雑誌だったからなのだろう。つまり、速さを追及すべく製作した今は亡きアントニオ・コバスの作ったシンプルで美しいレーシングマシンを紹介する雑誌よりも、一体どこで走らせて何をしたいかはよく分からないお祭り騒ぎのようなニンジャなどを紹介する方が、悲しいかな広告主が集まるのである。
 こうして同じ言語を話すエディター(編集者)と広告主たる国内企業の癒着構造が定着し、昔を知る私の嫌悪感は最高潮に達した。しかし、さんざん私が持ち上げた『サイクルサウンズ』誌にしても、読むに値する文章は、全てイギリス人ジャーナリストの文章だったので、今昔問わず我が国には有能なジャーナリストがいないことが残念である。否、我が国にはジャーナリズムという概念自体がないのではないかという疑心にも襲われてしまう。

 しかし、幸いなことに、アンダーグラウンドの片鱗をのぞかせてくれるインターネットという名の大海原を探索していると、大昔の硬派な走り屋のような、誰にも気づかれないクールなライダーが存在することが、かすかにだが私には想像することができた。
 今回、すでに老いぼれ、2輪業界にもモーターサイクルスポーツに対しても何の期待も持てなくなった悲観論者の私は、非コミュだが走りは重視しているというクールなライダーに対して、インターネットを通じて勇気を与え、表舞台の欺瞞性を暴いてみた訳だが、ねたみ、利己主義、犯罪、不公正といった、世界中の悪の結晶とも言える2輪業界やモーターサイクルスポーツの実態を知れば知るほど、なぜ、バイクやモーターサイクルスポーツが私を含めた多くの人達の人生を不幸にしてきたかがよく分かるので、硬派な走り系ライダーは、ストリートならば自分は犯罪者、サーキットならば自分は精神異常者だと開き直った上で、『あいララ』や『バリ伝』のような世界観で生きていくと共に、まともな神経の人間ならば、こんな世界には足は踏み入れないようにした方が良いと、私は老婆心ながら思った。

 最後に、上記の文章は、人に読ませる為にワザと大袈裟な表現を使って面白おかしく書いているが、バイクも、2輪業界も、モーターサイクルスポーツも、脳内お花畑の小林ゆきが語るような夢のように素晴らしいものではなく、人間の持つ悪の本質をのぞかせてくれる“いましめ”だということを、行間から察して頂ければ幸いである。




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