Erv's Letters index Text by Erv Yamaguchi


人生の思ひ出 2008年2月8日 20:59

 私はこれまでの人生で、多くの人をサーキットに誘い込んでしまったが、それらの人達が人生を楽しんだのは一時的で、長い目で見れば、サーキットに足を踏み入れ、レース活動に身を投じると、2時間程度で終わってしまうタイヤ、1〜2年で廃棄してしまう車体、それ以外にも消耗品やら対策品など、信じられない量の資源を使い捨て、リサイクルやエコロジーが叫ばれている現代社会においては、レース活動など全くの犯罪行為であるだけでなく、実際に1回走るだけで数万円から数10万円を浪費していては、フツーの稼ぎの人間ならば、数年で貯金も枯渇してしまう。従って、こうして実際に自分の人生を棒に振ってしまった方々には、本当に心よりお詫びを申し上げたいと思う。誠に申し訳ありませんでした。

 しかし、自分自身が愚かな生き物であることをカミングアウトした上で、なぜ私がモーターサイクルスポーツなどに興味を持ち、そしてその底辺層を広げようなどと努力したのか、お詫びの気持ちを込めて、今回は自分の人生を振り返ってみることにしよう。

★スーパーカーブーム
 私が小学3年生の時に、世の中は空前のスーパーカーブームとなった。私自身スーパーカーに夢中になり、親と一緒にスーパーカーの写真を撮りによく出かけたものである。
 その後スーパーカーブームが下火になった頃(小学5年生くらい)、同級生達はスーパーカーのことなど話題にしなくなったのだが、私自身は、スーパーカーのようなケバケバしくハデな感じがする、まるで夜の女のようなルックスのクルマよりも、「羊の皮を被った狼」ライクな、WRCのラリーカーに興味を持った。こうして、単に見た目がハデなだけのスーパーカーから、“走り”を重視した乗り物に興味が移ったのだが、走りを極めるとなると、最も速い乗り物に更に興味が移行し、次に私はF-1に興味を持ち始め、4輪のモータースポーツ関連の本から、レーシングカーの理論と設計について独学するようになった(小学校6年生くらい)。
 そして、この時のF-1は、グランドエフェクトカー全盛時代だったのだが、グランドエフェクトカー(車体全体がウイングという思想により設計されたクルマ)の生みの親である、ロータスの創始者のコーリン・チャップマンは、私の憧れの人だった。ちなみに、「だって書いてないじゃん」というスタンスで、常にレギュレーションの抜け道を探して、斬新なアイデアをサーキットに持ち込むチャップマンを見て育った私の、いわゆる体制に反抗する気質の醸成は、チャップマンの影響が非常に大きい。
 ざっとここまでが、表層的な私自身の分析である。では次に、私の内面を精神分析してみよう。

 私は1人っ子だったので、自宅に引きこもって1人で遊ぶことが多い少年だった。従って、子供ながらに、人とのつながりを強く求めていたのかもしれない。実際に私は、学校等では友人とバカをやってワイワイやるのが好きな少年でもあった。オタクっぽい要素はあったが、社交性はそれなりにあったと思う。
 そんな時に出会ったF-1は、車体やスピードの凄さに惹かれたのと同時に、F-1サーカスと呼ばれるように、本物のサーカスのように世界を巡業するF-1レースは、たかが自動車の競争というだけなのに、人種も言語も全く違う国の人達が、F-1がやってきた時には、その時だけその国はお祭り騒ぎのように喜んでいるという姿を見て、F-1を通じて全世界の人達がバカ騒ぎしている様子に大変憧れた。そう、モータースポーツとは、人間がバカになってひとつになれる素晴らしいモノだと錯覚したのである。

 そうこうしていると、F-1のメカになることが夢だった私は16歳になり、フツーに整備士になった。そしてバイクの免許を取り、フツーにバイクにも乗り始めたが、この時に友人宅にて、83年のWGPのビデオを見せられた。フレディー・スペンサーとケニー・ロバーツが争った年のやつである。それまでの私は、車幅が決まっている4輪のレースにゾッコン惚れこんでいたので、ストレートとコーナーで幅が変わってしまう2輪のレースなどインチキだと思っていた。(笑)
 しかし、このビデオを私に見せた友人は、バイクのレースにゾッコン惚れこんでいて、当時のモリワキで走る宮城光選手に憧れて、鈴鹿4時間耐久に参戦すると言い出したので、整備士をやっていた私は、メカニックを引き受けることになった。しかし、この友人と夜な夜なストリートで走っている内に、自分自身がサーキット走行に興味を持ち、17歳の時には友人より先に私自身がサーキットを走り始めてしまった。しかし、肝心の友人はと言うと、バイクを盗まれたことがキッカケか、その後バイクを降りてしまった。
 しかし、私は19歳頃には転倒によりマシンが大破し、金欠により修理費もなかった為、やはり私自身もバイクを降りるハメになり、その後しばらく経った後は、もう私はサーキット走行はあきらめ、六本木で夜遊びしたりしていた。(笑)
 ちなみに、バイク乗りは、本当にバイクのみしか人生の楽しみを知らないという人が多く、会話のセンスや服装のセンスが痛い人も多いが、私はこの時に六本木のディスコとかに行って夜遊びしていて、夜系の人達の会話のセンスを楽しんだり、DCブランド(昭和のフレーズ)のお洋服を買いあさってオシャレを楽しむという人生経験もしていて本当に良かったと思う。バイクだけの人生なんて、想像しただけでゾッとする。

★シングルレース参戦後草レースの主催
 私は元々コーリン・チャップマン等に憧れていたエンジニアやメカ志向の人間だったのと、子供の頃からバカ騒ぎが大好きで、20歳前後の時には夜遊びも大好きな少年だったので、2輪に関しても、車体は新しいトレンド満載のレーシングマシンや、エンジニアの考え方などに興味を持っていたが、ライダーに関しては、理屈など無視無視でバカっぽく速く観客を沸かすタイプのライダーが好きだった。
 こうして、17〜18歳にはサーキットを走っていたとは言え、元々メカ志向でライダーとしての素質もなかった上、親の財力や七光もなかった為、ワークスライダーになどなれないと早々に悟っていた私は、自分のアイデアでマシンを作ることが出来、ウィニング・イズ・エブリシングといったメジャーなレースに背を向け、バカっぽく参加出来るシングルレースに参加すると共に、シングルレース向けのマシンのレーシングサービスを行う店を22歳の時にオープンした。そして、店のお客さんと共にシングルレースを楽しんだが、少し経ってから、我が国に不足しているのは、もっと底辺層を拡大する為の草レースだと考えた私は、漂白された、骨抜きの、おとといきやがれ方式のMFJが嫌いだったことも手伝って、自分自身で草レースの主催も始めてしまった。これも、幼少期の他人と結びつきたいという欲求の表れだったのだろう。私は自ら率先してバカをやり、参加者とのバカ騒ぎを楽しんだ。この時の強烈に楽しい思い出が強いので、他の草レースなどを観に行っても、全く面白く感じられなかった。私はサーキットに対して、デスマスク(仏頂面)の人達が集まったお役所ではなく、幼少期に見た、自国にF-1がやってきた際のバカ騒ぎしている観客の姿を求めていたのである。

★空白の10年間
 しかし、私はシングルレースにも金を使い過ぎて25歳で再び金欠になり、2輪業界から一旦足を洗うと共に、環境問題に興味を持った。
 私はそれまでビジネスやバイクにだけ興味を向けてきたのだが、内心では、地球の環境破壊に対して恐怖におののいていたのである。そう、バイク乗りがタイヤやオイルをガンガン使い捨てるように、このまま人類がコンシューマリズム(消費至上主義)を抱いたまま突き進めば、人類は確実に“地球を使い捨てる”と感じていたのである。
 そして、この時に私は自分の知的好奇心を一気に開放したので、環境問題に関する様々な知識を猛スピードで吸収していった。

 その後、私が28歳の時には、空前のクラブブームが起きたが、すでに草レースの主催もやめてしまい、自らがバイクに乗ることもなく、そうは言ってもまだ20代で若かったので、私も青山、西麻布、六本木等のクラブに行って踊った後、再び青山や原宿に戻ってきて仲間と夜中までよく飲んで騒いでいた。
 しかし、30歳を超えると、夜遊び仲間とも疎遠になると共に、職場には一緒にバカ騒ぎするような同僚もおらず、私は寂しくなってきた。
 そして、実のところバイクなどどうでも良かったのだが、私は20代前半に味わった草レースでの楽しさを再現しようと、10年後の35歳の時に再び草レースの主催を始めた。

★現在
 今でこそ草レースのスタンダードになっているが、「定員制の為予選落ち無し」や、「マシンの種類別でなく、タイム順でクラス分け」や、「ベースマシン、改造範囲共に自由の何でもアリ」といったレギュレーションは、漂白された、骨抜きの、おとといきやがれ方式のMFJに対するアンチテーゼといった私の発明である。
 しかし、私が23歳の時に初めて草レースを主催した時には、こうしたレギュレーションは斬新で、参加者の方達からもおおいに歓迎されたが、その後こうしたレギュレーションを採用する草レースが増えると共に、メジャーなレースも参加者を集める為に、こうしたレギュレーションに歩み寄ってきたので、35歳の時に草レースを復活させた時には、参加者はすでに“草レース慣れ”していて、むしろ冷めた目線で草レースを評価する冷たい人達も少なくなく、思ったほどバカ騒ぎにはならなかった。それどころか、レースは回を重ねるごとにエスカレートし、単なる選手権の縮小版になってしまった。しかし、こう書くと悪いのは参加者だけだといったイメージだが、実際に選手権のような殺伐としたイキフン(雰囲気)を助長していたのは、他ならぬ私という側面もあった。なぜならば、大昔のロムシーと違い、インターネットが出現してからのロムシーは、よりエンターテーメント性が高まったからで、参加者同士が敵対している方が、ROM者に対してより注目度は増すからである。

 ところが、インターネット上における別の産物として、ソーシャル・ネットワーキング・サービスなるものがその後生まれた。つまりmixiである。プロではなく素人のライダー達は、早速そこで絵文字を使いながら慣れ合いを始めたが、これではロードレースのエンターテーメント性は無くなってしまう訳だが、私にとって幸いなことに、mixiがヒットする前に、良いタイミングで使用していたサーキットが閉鎖になったので、私は安堵の溜息をもらすと共に、ロムシーの歴史に幕を閉じることが出来た。参加者同士がmixiで慣れ合っているくらいなら、「ブッ殺す」という気迫を持つ人達が繰り広げる、夜な夜な行われている首都高バトルの方がよほどエキサイティングでドラマチックだ。

 しかし、そう言っても、現在のリッターSSで殺伐系の人達を争わせると、首都高同様死人が続出すると思ったので、死亡事故に対するリアリティーの上昇に精神的に耐えられず、私は草レースの主催もやめてしまった訳だが、死亡事故が起きる前に草レースの主催をやめることが出来て、私は本当に良かったと心底思う。ちなみに、私は主催者として必ず保険をかけられるサーキットにてレースを主催していたが、保険もかけずにリッターSS車を競争させる主催者が未だ存在していることに対して憤りの気持ちはぬぐえない。ちなみに、サーキットが用意する保険金など大した金額ではないが、これはモーターサイクルスポーツに対する思い入れの有無に関わる要素なので、これを読む読者には、保険もないようなレースには参加しないよう強く訴えたいと思う。あなたが死亡したら、不幸なのはあなただけではなく、主催者には一生死人の影が付きまとうのだ。そして、そんな役割はMFJだけでいいというのが、現在の私の正直な想いである。

 また、自分自身においては、国際格式のコースをクソ真面目に走るリアリティーもないので、ミニサーキットレベルでは走りも楽しめ、ルックスも本来大好きなバカっぽさを楽しめるユーロ系のストリートファイターのカスタムに興味が移り、ビジネスにおいても、ユーロ系のカスタムパーツを売ることで生計を立てるというポジションに落ち着くことになった訳だが、そんな私を軟弱な人間だと非難して頂いても一向に構わないので、私のことなど放っておいて、殺伐系の方は、そのまま殺伐と走りにいそしみ、慣れ合い系の方は、今後も絵文字の開発や怒涛のレスに精を出して頂きたいと思う。

★おわりに
 昨年までの『アーブの手紙』は、主に私自身が学んだマーケティング論により、2輪業界やメーカーの行っているマーケティングに対して批判することで、読者の興味をひいてきたが、今年に入ってからは、今から約15年前の25歳頃に学んだ知識をベースに、現代社会の欺瞞性について語るようになってしまった。
 ところで、環境問題について学んだ後に、モータースポーツやモータリゼーションを傍観すると、自動車やオートバイなど、人類にとって全く必要ないどころか、むしろ有害であることが理解できるが、私を含めて業界の人達は、例えそう思っていても口が裂けてもそんなことは言わない。
 しかし、実際にこの現代社会が環境破壊等により崩壊すれば、そんなことも言えなくなってくるので、私のように「キモイ」「痛い」などと揶揄されている変人1人くらいが、自動車やバイクに対してネガティブなことを語っても、むしろ自由なインターネットの世界らしくて良いだろう。
 現在の私は、バイクなど中学生のラジコンくらいのレベルの趣味で語った方が良いと考えており、マイブームは、2輪業界の改善よりも、現代社会の改善に移ってしまったので、今後の『アーブの手紙』は、バイクネタよりも社会問題ネタが多くなるかもしれない。

 また、蛇足だが、ロードレースに参戦している人は、数100万円を投じて得たあなたの過去の栄光など、物凄いスピードで陳腐化するので、「楽しかった」と思える瞬間さえ経験していれば、その楽しさは永久ではないということを予想し、楽しくなくなる前にテキトーなところで早めに足を洗って、スカッシュでも楽しむかのように走行会を楽しんだり、中学生のラジコンレベルでミニバイクレースをやったりして、余ったお金で貯金でも始めたほうが良いと助言したいと思う。そう、たった今障害者にならない限り、未来の年金などあてにならないのだから。

 しかし、ダブルスタンダードとしては、慣れ合い、絵文字等が特徴である、ソーシャル・ネットワーキング・サービスとの和解は不可能という殺伐系のあなたは、速さのみを今後も追及して、キャンギャル連れてくるようなチームをカモにして頂きたいとも思う。なぜならば、あなたはすでに棒にふった人生を受け入れたのだから、ロードレースは闘争心と闘争心がぶつかりあう格闘技だったと歴史にその証拠を記して頂きたいからである。




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