Erv's Letters index | Text by Erv Yamaguchi |
「アフリカの飢餓難民は」問題 2008年2月21日 9:52 |
きたりんのブログ等によると、非モテや非コミュの人達が現代社会に適応できないことに対して、彼らの呼び方による“ポジティブさん”(現代社会に適応していると思っている人達)は、「オマエ達に比べればアフリカの飢餓難民は(以下伝々)」などと助言するらしい。 つまり、ポジティブさん達は、先進国に住んでいれば、どんなに貧しかろうと、どれだけ心に深い闇を抱えていようと、アフリカの飢餓難民よりかは数倍マシだと言った理屈をインクリメント(相対値的)に語り出すようなのだが、心に闇を持つ人達も、アフリカの飢餓難民も、アブソリュート(絶対値的)にそこに居座っていることに対して、その居座りのメカニズムというか、システムに関しては、あまりポジティブさん達の思考は及ばないようだ。 ちなみに、私は心に闇を持った人達(ひょっとしたら私自身もそうかもしれない)がトレッドミル(足踏み車)から抜け出す方法については、ストレートに専門外であると同時に、むしろそうした人達を強制的に他者と同調させるよりかは、こうした人達のDNA(デオキシリボ核酸)は、人類にとっての遺伝子の多様性なので、これはこれで存在価値があるのではないかと考えている。 しかし、心に闇を持つ人達は人類の遺伝子の多様性として存在価値があるとも言えるのに、遺伝子とはまるで関係のない、単に人為的なシステムによって飢餓難民になった人達に対しては、多くの人と同様、私自身人道的に処置が必要だと思ったのと、そして、私自身としては、アフリカの飢餓難民を引き合いに出すポジティブさんが、「人よりマシだ」などと上から目線で語り出す前に、なぜ、この格差社会に疑問を呈さずに、なぜ現代社会にひたすら追従するのか、個人的に大変不思議に思ったのだが、こうした人達がネオリベラリズム(新自由主義)にまんま洗脳されているように、アフリカの飢餓構造においても、やはり予想通り、ネオリベラリズム(新自由主義)が深く関わっていたので、今回はこれについて以下に語るとしよう。 ★アフリカ まず最初に、多くの人達の誤解を解けば、日本や中国が経済成長したのは、ネオリベラリズム(新自由主義)を経済に取り入れたからではない。日本や中国が経済成長したのは、大袈裟に言えば共産主義を採用していたからで、少し丁寧に言えば、取り入れた資本主義の中にも社会主義的な保護政策や戦略を取り入れていたからで、例えば戦後の焼け野原の状態でネオリベラリズム(新自由主義)を採用していたら、自国の地場産業を成長させる余地は全くなくなり、間違いなく日本人はアフリカのような最貧国の最貧民になっており、非モテどころの騒ぎではなかっただろう。 また、戦後の日本の政治家と、現在の中国の政治家は、ネオリベラリズム(新自由主義)に対抗して、慎重に自国の経済戦略を狡猾に推し進めて経済成長した訳だが、表向きは自由経済に賛同しているように振る舞った所が、かなり狡猾な戦略であったと私は思う。 これに対して、アフリカはアメリカのネオリベラリズム(新自由主義)の実験場として、最初から搾取され、疲弊し、人々は餓えるハメになった。 アフリカの32カ国中、26カ国は1998年までに自由主義的経済体制になったが、これにより、アフリカには格差が拡大し、アフリカの地場産業に対するあらゆる保護政策は廃絶された。 もちろん、ネオリベラリズム(新自由主義)をアフリカに持ち込んだのは、悪名高いアメリカそのものだが、アメリカの目的は、ストレートにアフリカの石油だった。信じられないかもしれないが、アメリカは現在、サウジアラビアよりも多くの石油をアフリカから輸入しているのである。 皆さん同様、私自身も驚いたのだが、これまでアフリカの石油があまり注目されてこなかったのは、石油が比較的かなり地中の奥深くに眠っていた為、それを汲み出す労力やコストを考えると、アフリカの石油はあまり魅力的には見えなかったようだからである。しかし、湾岸諸国の石油価格の急騰と、地中深くの石油を汲み出す先進技術の開発のセットで、アフリカの石油を汲み上げることに対する抵抗感が一気に減少したようだ。 そして、今のところ、アフリカの石油の備蓄量は、世界の埋蔵量の10%だと言われているが、実は、今までみんなが無視していた為に、実際の埋蔵量は誰も知らないというのが現状のようだ。 話を戻して、アフリカの石油に目をつけたアメリカは、すぐにアフリカの石油開発に乗り出したが、アフリカは中東の産油国のように、石油で豊になったのだろうか? 実際には豊どころの騒ぎではなく、アフリカには、遠く離れた極東の島国のポジティブさんが非モテに対する助言の引用に使われるほど、目を覆うような貧困が襲っていた。 アフリカ最大の産油国のナイジェリアを見てみよう。ナイジェリアでは、石油生産で得た利益の85%が人口の1%の人達の手に流れた。ナイジェリアの経済財政犯罪対策委員会によると、2003年の石油輸出における利益の70%は、盗まれたか浪費されたとのことである。つまり、石油開発により、一部のエリート達がこの利権に必死にしがみついたことで、富裕層は更に富み、貧困層はより貧困に陥り、ナイジェリアには悪夢が襲いかかった。ナイジェリアでは、1日100円以下で暮らす人の割合は、1970年から2000年までの間に36%から70%に増え、実際の人数で言えば、1900万人から9000万人に増えた。 もちろんこれは、ナイジェリア一国の例を挙げただけで、現在アフリカでは、約3億人以上が1日200円以下で生活していて、このままいけば、2015年には貧困層は4億人に達するそうである。そして、アフリカ人の平均寿命は現在46歳で、アフリカの23カ国においては、国内総生産は3兆円にも満たないが(我が国の国内総生産は約500兆円)、例えばエクソンモービルの2006年の第一4半期(3ヶ月分)の純利益が8兆円にもなっていることを考えると、いかにアフリカの石油生産が国民に還元されていないかがよく分かる。 アフリカの凄まじい貧困に対しては、もちろん多くの日本人が映像等を通じて知らされているので、あなただって「これはひどい」と思ったことがあるだろう。こんなアフリカに対して、私やあなたが街角のボランティアを通じて募金したところで、貧しいアフリカを救えるのだろうか? 厳しいと言えるだろう。それどころか、募金が正確に貧しい人達の手に届いているかさえ怪しいと言える。(注:寄付を全否定するものではなく、寄付先のセレクトは慎重にすべきという助言である) しかし、アフリカの貧困を救う可能性があるのは、実は我々のよく知る隣人になる可能性が現在急速に高まっている。 ★対抗馬 私やあなたがアフリカの飢餓難民の存在に対して気が重くなり、インターネットや街角で100円や千円を寄付するように、先進国はアフリカを救済しようと立ち上がった(かに見えた)。先進国は、アフリカへ貸した金をノーカンチャラにすると相次いで発表し、実際に債務は免除されたのだが、これは言ってみれば寄付みたいなものだろう。これでアフリカは救われたのだろうか? 実際には、借金がノーカンチャラになっても、それは新たな借金を助長させるだけで、その新たな借金とは、主に西側諸国の利益になるような投資に使われ、アフリカの西側諸国に対する依存の体質は改善されなかった。つまり、貧しい人は貧しさのサイクルから抜け出すことば出来なかったのである。 理由は、アメリカがアフリカの石油利権を押さえようとした手法が、アメリカの大好きな常套手段である、搾取的資本主義をアフリカに押し付けたからであり、アフリカは、アメリカの右派の経済学者の単なる実験場になってしまったのである。 アフリカは、ネオリベラリズム(新自由主義)の採用により、公共機関は民営化され、公共事業で働く人の人数は減り、経済の自由化で地場産業の保護政策は無くなったので、製造業は壊滅し、労働者の賃金は限りなくゼロに近づいた。これでもポジティブさんは、「貧しいのは本人の努力が足りないからだ」というお決まりのフレーズを語れるのだろうか? つまり、アフリカの貧困は、アメリカが石油利権を得る為に利用した、ネオリベラリズム(新自由主義)というイデオロギーによってもたらされたのであり、アメリカはアフリカ人が餓死しようが、あくまでもこのイデオロギーに執着して人々からの搾取を止めないのである。 しかし、アフリカの石油に目をつけていたのは、何もアメリカだけではなかった。現在、急激に経済成長し、エネルギー需要が急速に高まっている中国は、アメリカとは違う方法でアフリカにすり寄った。 そして、中国の対アフリカ援助は、冷戦崩壊によりもたらされた、共産主義は資本主義に敗北したという、一般的に我々が信じている事柄が、実はウソだったということを、今後証明する可能性がある。 中国は、アメリカの搾取型の資本主義押し付け戦略に対して、アフリカ自身も成長するような、互恵主義に基づきアフリカとパートナーシップを結ぶ戦略に出た。まるで北風と太陽のようだ。 そして、2006年には、アフリカの48カ国の首脳が北京で開催された中国のアフリカ協力フォーラムに参加した。そう、誰も知らない内に、2006年に隣の国には、48カ国のアフリカの首脳が一同に集まっていたのである。 中国はこの席で、アフリカに対して1兆円を援助することにし、更に5000億円の優遇的ローンを供与することにし、更に中国に対するアフリカの対中国債務を大幅に減免することにし、2000億円の建設や投資プロジェクトの契約を結び、中国の対アフリカ援助は倍増した。至れり尽くせりである。 では、ミクロ的にアンゴラという聞きなれない国について見てみよう。アンゴラは、冷戦時代には、アメリカとソ連の両方から支援を受けていたので、東西の冷戦の代理戦争のような状態だった。このアンゴラは、内戦により25年間放置されっ放しだった崩壊された社会インフラ(鉄道、橋、駅、設備)などの再建を中国に依頼した。引き受けた中国は、実際にインフラの再建を行うと共に、2006年にはアンゴラは、中国にとってサウジアラビアを超える最大の石油供給源になった。 もちろん、ネオリベラリズム(新自由主義)を推し進めるアメリカは、得意の偏向報道で、こうした中国のアフリカ支援は、大失敗していると大々的に宣伝しているようだが、アフリカは、中国や他のアジアとの貿易の活発化により、過去5年間で成長率は3%から5.8%に倍増した。実際には、アフリカには独裁政権が沢山ある訳だが、中国はその独裁政権を倒すような内政干渉は全く行わず、アフリカの地場産業を育てる事を優先した為に、アフリカの人達の暮らしは少しずつ良くなっている。 では、中国のこうした論理よりも結果を重視する太陽政策に対して、あくまでも自由主義経済を採用させるべきだというイデオロギーに執着するアメリカは、指をくわえて見ていたのだろうか? 実は、アメリカも似たようなリップサービスを行って、アフリカに歩み寄ってみたことがある。そう、アメリカはアフリカに対して自国の市場を解放するべく、アフリカからの農産物の関税をなくすと発表したのだ。しかし、アフリカはこうした見せかけの偽善に興味は示さなかった。なぜならば、アメリカの農業には、巨大な助成金が与えられているからで、自由主義や自由貿易などちゃんちゃらおかしいのがアメリカのダブルスタンダードであることを知っていたからだ。 ダブルスタンダードは、農産物だけではない。ブッシュ大統領は、アフリカに訪問した際に、アフリカのエイズ蔓延のひどさについて語ったが、一方ではアフリカに対して、薬の知的所有権の措置を強く求めたのである。これは、エイズ治療薬が安くアフリカで売られることの障害になることを意味している。 ★おわりに かつてネルソン・マンデラは、「アメリカの態度は世界平和の脅威である」と語ったが、アフリカ人の多くは、すでに竹中平蔵が唱える、貿易の自由化や規制の撤廃、公共機関の民営化、知的所有権の保護と言ったネオリベラリズム(新自由主義)はアフリカを幸福にはしないということに気付いたようだ。 つまり、現在アフリカは、石油の利権という、いささか怪しい下心がキッカケではあるものの、アメリカのあくまでもイデオロギーにこだわる右派的であり搾取的な資本主義の押し付け戦略と、中国の自由市場主義と国家資本主義を混同させたハイブリット主義という、2つのイデオロギーの戦いの分かりやすいケーススタディ(事例研究)となっている訳だが、中国のやり方に対して、恐らく多くのアメリカの保守派は心理的抵抗を示しそうだが、中国人と同じ肌の色を持つ我々日本人は、実のところ、我々自身が厳密には自由放任主義的な経済をこれまで採用したことがないので、自分自身の成功を顧みれば、アフリカが今後歩むべき道も簡単に想像できるし、あるいはアフリカを観察することで、右派的なネオリベラリズム(新自由主義)を抱いていた小泉政権と竹中平蔵が、いかに我が国にとって危険因子だったのかが分かるだろう。 どうだい、トラクションコントロールなどというバカげた悪平等で争われるmotoGPなんかよりも、よっぽど世界を駆け巡るイデオロギー戦争について考える方が、数倍エキサイティングじゃないかい? しかも、motoGPは対岸の火事だが、イデオロギー戦争は、その結末いかんでは、私やあなたが生きていたり死んでいたりするのだよ。 注:上記の内容は、アメリカのネオリベラリズム(新自由主義)によってもたらされた想像を絶するアフリカの貧困の改善が、例え中国の石油利権欲しさという下心がキッカケだったとしても、貧困の放置よりかはほんの少しマシだというストーリーであり、中国の今後のエネルギー需要の高まりによる環境破壊や、そもそもの資本主義独裁国の中国における格差を肯定するものではありません。むしろ中国国内の格差は、日本の格差以上に深刻だと思われます。 アフリカ未開発油田の国際争奪(『デモクラシー・ナウ!』より) |
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