Erv's Letters index | Text by Erv Yamaguchi |
平和への道はない、平和が道である 2008年3月12日 13:56 | ||
これを読む読者の中で、自分は右派だとか左派だとか、保守だとかリベラルだとか、あるいはどちらにも属したくないので中道だとか、ハッキリと正確に認識している方はどれくらいいるのだろうか? もしかしたらば、バイク乗りが多く集まるサイトだけに、バイクに夢中で全然分からないという方も多いかもしれない。 そういう私自身、昨年までは、自分さえ良ければそれで良いという、市場原理主義者というか、市場原理主義を前提に物事を考えないと金が稼げず、イコール生きてはいけないと考え、貯蓄と投資、これが資本主義の全てだと考えて株式市場に興味を持つと同時に、自分自身のビジネスモデルの構築の為にも、マーケティング論について独学していた。正直言って、政治には何も期待していなかったので、イデオロギーに関しては一言、無関心だった。これを読む読者の中でも、そういう人は多いかもしれない。 しかし、実際の世の中には、軍隊持って外国の軍事力にも対抗すべきといった極右の人から、銃なんて見るのもイヤなので、軍隊は放棄して非武装中立にするべきという絶対平和主義的な人や、どっちにも属したくないので中道の人とか、まー多くの人は、右派と左派の中間のどこかに位置するという感じで、テキトーに分布しているようだ。 こうした分布を高所から眺めて傍観し、更には右派の人の言い分や左派の人の言い分を拝聴すると、人間には元々右派的な遺伝子や左派的な遺伝子があって、互いに牽制しあいながらバランスをとっているのではないかと達観視したい気分にもなってくるが、皆さんはどうお考えだろうか? ちなみに、私は若い頃すでにガンジーの提唱したアヒムサ(非暴力主義)に傾倒していた為、絶対平和主義をベースにした非武装中立論者だったが、「他国が攻めてきたらどうするんだ?!」という疑問に対しては、「丸腰です」と答えるしかない非武装中立論者は、右翼の方達からは、“バカサヨ”と呼ばれているようだ。(笑) ちなみに、バカサヨ扱いされているおめでたい平和主義者は、憲法第9条を絶対に守るという護憲派が多いようなのだが、これが為、右翼の方達は護憲を口にする人達は全員バカサヨにしてしまうようだ。(笑) しかし、絶対平和主義者で、非武装中立論者の私に言わせてもらえれば、憲法第9条の2項の冒頭にて、芦田均というオッサンが寸前に付け加えた、「前項の目的を達するため」という11文字の修正箇所について、「侵略戦争」は行わないが、「自衛の為の戦争と武力行使を放棄した訳ではない」ことが明確になったと、芦田均は憲法公布の日に書いた『新憲法解釈』の中で書いている為、自衛隊が合法化されているという見方もあるようだし、憲法第66条にある、「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければ」という記述に対して、日本に軍隊が存在する可能性がないのであれば、ワザワザ“文民”(軍人じゃない人の意)という言葉など入れる必要がない訳なので、憲法自体は、「絶対に非武装」を唱えたものではないとも言える。なので、絶対平和主義者を名乗るのであれば、いわゆる芦田修正部分をカットして、「自衛の為の戦争と武力行使も放棄」を追記し、文民条項もなくすべきじゃないかという気がする。護憲派よりも平和主義っぽくね? オレ。(笑) コマケー屁理屈論を“つかみ”にして申し訳ないが、護憲派の人達が言うほど憲法は立派なものでもないし、改憲派の人達が言うほど憲法はアメリカからの押し付けという訳でもないし、憲法制定には、アメリカと日本の要人の複雑な駆け引きの中でドロ臭く生まれたことに対しては、あまり認識されていないような気がするので、ネタとしてつかみにしてみた。 ★戦争論 私はこれまで、アメリカのフリードマンが提唱する市場原理主義をベースにしたネオリベラリズム(新自由主義)に対して警鐘を鳴らしてきた訳だが、面白いことに、漫画家の小林よしのり氏のような右派の人の中にも、ネオリベラリズム(新自由主義)を注入したアメリカの日本支配に対して嫌悪感を示し反米感情を持った人がいることを知った。 もちろん、こうした反米右派の方達と私は根本的にスタンスが異なる訳だが、私は日本だけでなく、全世界的に見て、ネオリベラリズム(新自由主義)がもたらす格差と貧困のひどさに対して、地球規模の道義的責任を果たしたいと、ネオリベラリズム(新自由主義)に反対し、社会民主主義を支持した訳だが、ようするに、貧困を無くしたいという徹底したリアリズム(現実主義)が私の理念のベースである。また、このリアリズムで更に追記すれば、格差が拡大して中間所得層がいなくなることは、経済的損失も大きく、国益にも反すると考えている。 これに対して、アメリカからの侵略は日本人のアイディンティティーの喪失につながると考える反米右派の人達は、精神論がベースであると同時に、このまま日本の貧困層が増大し、それらの人達が決起し、南米の左派政権のような政権が生まれることはイヤなようだ。なぜならば彼らは、結果オーライ主義ではなく、“サヨ”という言葉をとにかく忌み嫌っているからだと思われる。 しかし、何度も言うように、私自身はリアリストで、右翼とか左翼に対してほとんど無関心だったところで、私の友人が右翼について熱く語っていて、ネタとしても面白かったので、以下にそのまま友人との会話を紹介しよう。ちなみに、太字は私のセリフである。
エラい熱く語るでしょ、私の友人。(笑) ちなみに、ウィル・デューラントとアライエルという歴史家によると、有史以来の3438年の中で、戦争のない時期はわずか268年とのことで、とにかく人間は戦うのが好きだったということがよく分かる。そして、古代文献の多くは勝利した軍事作戦や戦闘について詳しく書き綴ったものなので、右翼の人達が戦争にロマンを感じることもよく理解できる。また、若い人達が右傾化するのも、戦争を体験したことがなく、そしてその恐怖をじかに経験したことがない人にとっては、戦争は心躍る出来事なのだということもよく分かる。 しかし、こうした他人と闘いたいという本能的欲求をうまく吐き出しながら、終わった後は闘った者同士握手できるという素晴らしい発明が、“スポーツ”だと言えるので、文明的に戦争を行い人は、人類史においては最近発明されたと言える“スポーツ”で心地よい汗でも流して頂きたいと思う。血を流すのは時代遅れだ。 ★真の愛国 私が思うに、世の中で最も危険な国はアメリカだと思うが、この世界最強の軍事力を持つアメリカに対しても、その評価は急速に下がっている気がしてならない。例えば、アメリカというのは、それこそ地球の裏側の国をピンポイントで爆撃するだけの軍事力とテクノロジーを持っているが、爆撃した後の事後処理は何も出来ないことがイラク戦争で露呈されてしまった。 また、少し前に起きたベトナム戦争ですら、ベトナム人1人当たり250キロもの爆弾を投下して爆撃したにも関わらず、ゲリラ戦にて軽武装で戦った農民軍に負けてしまったのである。そう、イラクにおいてもベトナムにおいても、最初の内は最新兵器で相手国をぶっ叩くが、その後白兵戦になると、にわか兵士に対して、親族を殺された怨恨を持ち、自分の土地を守りたいという強い信念を持った人達に次々と兵士が殺され、こうしてアメリカ人は自分の国の兵士が殺されていくと、だんだんと弱腰になって、金がなくなると引き上げるというのがパターン化されている。第2次大戦についても、原爆を落されて日本は降伏してしまったが、仮にそのまま戦争が続いて、アメリカ軍が上陸し本土決戦になった場合、大都市は爆撃で破壊されても、山岳で白兵戦となれば、当時の日本人は特攻も出来た人達で、その為の教育も十分に受けていた、言ってみれば現在のアルカイダそのものなので、死ぬことが怖くない人達相手にアメリカ兵は次々と殺され、ベトナムやイラク戦争のように泥沼化し、ひょっとしたらアメリカは日本に負けていたかもしれない。 そうして考えると、50兆円近い莫大な軍事予算を持つアメリカも、なんだか頼りげない国に感じてしまう。実際、50兆円で全世界を相手に戦える訳もない。 ちなみに、長引くイラク戦争のおかげか、莫大な軍事費を投入しているアメリカは、経常収支が毎年1100億ドル(12兆円)の赤字で、2005年には赤字が8000億ドル(83兆円)になっていて、2006年には1日平均40億ドル(4400億円)のお金を毎日借りているのが現状なようだ。私の希望としては、旧ソ連のようにここのままいって経済破綻して頂きたいが、もちろん、アメリカ自身はドルが基軸通貨である限り、足りない金はジャンジャン印刷すればいいと考えているフシがあり、ドルの価値が下がっても、日本や韓国や中国が外貨準備金として買い支えるので、絶対にドルが紙切れにはならないと確信しているようだ。もちろん、だからこそ、アメリカに対して強気に出る為に、「基軸通貨をドルからユーロに切り替えるぞ」という政治カードが存在する訳だが、このカードを実際に切った国、つまり、イラク、イラン、北朝鮮が、悪の枢軸となり、軍事ターゲットとなる訳だ。 従って、アメリカの軍隊とは、ドルの基軸通貨の座を守る為に存在している訳で、ドルを買い支える国を攻撃することはありえないと言える。 しかし、繰り返しになるが、アメリカは自国の経済を支える為にも、日本の金が必要であり、その為に日本に対しては、軍事力は発動しないが、ネオリベラリズム(新自由主義)を注入することで、日本を搾取しようと画策した訳だ。つまり、小泉・竹中の構造改革によって倒産して自殺したりホームレスになって凍死した人達は、正に建物は破壊しないが人間を殺すネオリベラリズム(新自由主義)という名の中性子爆弾によって殺された訳で、これはコールド・エビル、つまり“見えざる悪”であり、イラクの人達のように直接殺されて怨恨を抱くのとは違い、死んだ人は本人の努力が足りなかったという自己責任論で本質が隠されているだけに、非常に巧妙な戦争をしかけられているのだと、日本人は早急に理解すべきだと思われる。 つまり、愛国心がある人間ほど、反ネオリベラリズム(新自由主義)を唱えるべきなのだ。 ★獅子身中の虫 渋谷などに出ると、いつも右翼の街宣車などにお目にかかるが、子供のころの私は、父親に対して、「あの人達は何でお金を稼いでいるの?」と聞くと、父親は、「政治家が金を出しているんだよ」と教えてくれたが、子供ながらに、「戦争反対を唱える政治家の政治活動に対いする嫌がらせでこうした人達が利用されているのかな〜」とか、あまり深く考えずにいた。 しかし、最近では、右傾化すると自分達も儲けることが出来るという財界の人達もいることを知った。つまりは、川崎重工と三菱重工とNECで、更には憲法を改正して武器輸出をOKにして儲けたいと考える元経団連会長のトヨタの奥田碩(おくだひろし)である。(奥田碩は軍事用のトラックをイラクに送り込む為に自衛隊のイラク派遣も支持していた) 私は、個人的には政治家先生には、人間の格差や、地方と中央の格差を無くし、福祉や医療を充実させる事に税金を使って頂きたいので、1兆円もの費用がかかるミサイル防衛計画などにお金を使ってもらいたくはない。つまり私は、北朝鮮などがドカーンと日本にミサイルを撃ち込んで、多くの死者が出るというリアリティーよりも、現実にたった今死んでいる生活保護を打ち切られて餓死している人の救済を優先すべきという、リアリストである。 しかし、よくよく調べてみると、政府は元々目がくらむ費用がかかるミサイル防衛計画になど乗り気ではなかったようだ。しかし、無理やりこの計画を推し進めようとしたのが、前述の川崎重工と三菱重工とNECである。これらの企業は、ミサイル防衛計画に参加することで最先端の技術を習得したいとのことだが、血税を使ってこうした技術が得られるのであればウハウハだし、この考えが発展して武器輸出もOKになれば、更に儲けられると考えているようなので、平和主義の国を作りたいと考える日本人にとっては、正に獅子身中の虫と言える。 実を言うと、私が製造業である町工場で働いていた時、自衛隊がらみの仕事で、ストレートに拳銃の部品を作る仕事が入ってきたことがあった。私自身は運よくその仕事から逃れて、別の同僚が作るハメになったが、人を殺す道具の製造に携わることがなかったことで私自身は胸を撫で下ろした。しかし、そんな仕事でも平気で取ってくる会社の社長には絶望し、こうしたことも会社をやめるキッカケとなった。 しかし、市場原理主義を抱く経団連やその他の軍需産業は、「兵器産業を無くすと失業者が生まれるので平和に反対する」というスタンスの方達なので、出来るだけ国家間や民族間に憎悪が生まれていることが望ましいと考えている訳であり、こうした軍需産業により“愛国心”は巧妙に利用される。つまり、政府の右傾化はストレートに“金”の為であり、他国や他の民族に対する憎悪の醸成とは、軍需産業にとってのマーケティング戦略であり、愛国心とは何の関係もない。 ★アメリカの歴史 戦争がなければ経済が成り立たない国の代表は、もちろんアメリカだが、ではなぜアメリカがそのようなシステムを確立してしまったのか調べてみよう。 まず、1929年10月24日に起きた株の大暴落の後、共和党のフーバーという当時の大統領が、“スムート・ホーリー法”という高関税法を制定して、そしたら世界恐慌が更に加速し失業率が10倍くらいに跳ね上がってから、1932年に労働組合や少数民族や貧しい人達の支持を得て、民主党のルーズベルトが大統領になったが、ルーズベルトは公共事業とかで失業者を減らすという、“ニューデール”という政策で経済の復活に着手して、経済を回復軌道に乗せて不況は克服したのだが、2期目に移行する時に、財務省から財政再建をやらないとアメリカがダメになると言われて、これを受け入れて、まだパーペキには景気が回復してないのに歳出を切り詰めて増税したら、これが裏目に出て景気が落ちてしまい、この政策の失敗を克服する為に手を出したのが、軍需産業という公共事業で、アメリカの戦争経済路線はここから加速したようだ。 そして、戦争経済というのは、戦争がなくなると経済が失速するので、常に戦争しないといけないという現在の体質が出来あがったという訳である。 つまり、1930年のフーバーと1937年のルーズベルトの財政再建至上主義が、戦争経済の元凶と言える。 ★日本の今後 では日本について考えてみよう。日本の場合は、小渕政権の時に100兆円の財政投資をして景気を刺激したが、その後、小渕さんが死んじゃってから、まるでフーバーやルーズベルトみたく、次の森政権から財政投資は全部無駄と、正反対の財政再建路線に走って、小泉内閣でパーペキにフリードマンのネオリベラリズム(新自由主義)を取り入れたので、今の日本は大企業と金持ちだけが得をするという格差社会になったという訳だ。 そして、お金儲けがホントに大好きな経団連の奥田碩(おくだひろし)などが、軍需産業も興したい調なので、経団連を中心とする財界からの援助も得て、国が憲法第9条を改正しして軍隊の保持や武器輸出も認めるようになり、更には日銀の次期総裁候補は財務省出身の武藤敏郎なので、武藤氏が総裁になり、日銀が財政再建路線を採用し、自民党の谷垣禎一(たにがきさだかず)が提唱するように、財政再建の為にも消費税等を増税するべきという政策を推し進める自民党に対する国民の支持率が高くなれば、このまま行くとまんまアメリカの歴史の焼き直しになり、日本が戦争経済を採用する日も近いと言える。 つまり、日本の将来は、憲法改正、軍隊の保持、財政再建路線、消費税等の増税、市場原理主義やネオリベラリズム(新自由主義)の推進という政策を取っている自民党に対する有権者の支持で決まると言える。 しかし、経団連の息がかかった電通の支配下にあるマスコミは、国の莫大な借金等により、財政再建や消費税の増税はやむをえないものという、自民党を擁護する偏向報道を行っている為、いつまでも自民党の欺瞞性に国民が気付かず、国民の多くはタレント性やイメージの良さやワンフレーズ・ポリティクスに永続的に影響されてしまう。 しかし、こうした歯がゆい現状に対する良いニュースとしては、新聞やテレビを観る人が減り、一方通行が特徴のマスメディアから、双方向性が特徴のインターネットに人々の関心が移っていることがあげられる。 ★マハトマ・ガンジー ラジカル(根本的)な話に戻そう。多くの人は、自分の手を汚して殺人に加担はしたくないと考えていると思うが、かと言って、そうは考えない野蛮人が攻めてきた時の為に、国は軍隊を組織すべきだと考え、非武装は非現実的な極論だと感じていると思う。 私自身、子供の頃はそう思っていたが、『ガンジー』という映画を観て、全く考えが変わった。ガンジーは、イギリスから独立する際、100%暴力は使わず、徹底した非暴力による非服従、抵抗運動を先頭に立って展開し、イギリスからの独立を果たした。 この『ガンジー』という映画を観ると、20世紀にこんな人物が実在していたのかと驚嘆してしまうが、「軍事力は必要経費」というこれまでの常識が覆される思想が、『非暴力主義』である。 ★クェーカー教徒 ガンジー同様、武力行使は絶対に行わないという絶対平和主義を抱いた人達にクェーカー教徒がいる。 しかし、神学者のラインホルト・ニーバーは、個人的倫理として殺人を拒否するのは当然だが、非暴力主義は、暴力を用いてでも守るべき社会的正義を実現することを回避しており、絶対平和主義による平和は、弱者が強者に屈伏させられることにより生まれる平和で、神の国の平和とは何ら関係のない専制的平和でしかありえず、社会的正義を確立する為には、愛だけでなく、力が必要であり、絶対平和主義というのは、力に訴えるより、不義に耐えることを選択しているとクェーカー教徒を批判した。 この批判に対して、皆さんならどう考えるだろうか? ちなみに、クェーカー教徒はこの批判に対して、「力に訴えるより不義に耐える」ではなく、「不義に耐えるか、不義を加えるか」という問題であると応答した。 ★キング牧師 1950年代には、アメリカでこんな事件が起こった。ローザ・パークスという黒人の女性がバスに乗車した際に、白人に席を譲って後部座席に移るように要求されたことを彼女が拒否したのである。この事件が発端となり、マーチン・ルーサー・キングは、バス乗車差別に反対する大衆的なボイコット運動を組織し、この運動は黒人だけでなく白人も参加し、最後は勝利した。 ちなみに、キング牧師は、この時に非暴力主義を使用した。キング牧師は非暴力主義の特徴について、非暴力主義とは、報復しないで苦痛を甘受し、反撃しないで反対者の攻撃を喜んで受け入れることだと語っている。普通の人間ならば、「目には目を」と考えて、相手を攻撃してしまいそうなものだが、なぜ彼らは報復しないで苦痛を甘受することができたのだろうか? それは、そうすることで彼らは宇宙を味方にしていると考えていたからで、人類の未来は、争いや戦争や差別がなくなる世界であると考え、彼らにとって非暴力を信じることは、すなわち未来を信じることだったからである。 ★おわりに 我が国は世界で唯一の被爆国だが、実際に被爆された広島や長崎の方達が、「俺達は被爆したのだから、目には目をで、日本も核武装すべきだ」とは考えずに、「この不幸を人類が繰り返さない為にも、人類は核を放棄すべきだ」と訴えていることは、個人的に尊敬に値する。また、同じ日本人として誇るべき考え方だと思う。心底そう思う。 しかし、この考え方の対極に位置し、年間4兆8000億円の軍事費を更に増強すべきという右派の政治家も存在する。自民党や、その中でも小泉純一郎や安倍晋三、そして民主党では前原誠司、そして国政ではなく知事レベルでは、石原慎太郎、東国原英夫、橋下徹などである。 こうした政治家先生達が、なぜか日本人の民族主義を刺激し、票を集めてしまうのはなぜだろうか? 彼らにタレント性が高いことは確かだが、有権者達は彼らのタレント性にだまされた為に識者からB層有権者扱いされてしまうのだろうか? 私は専門家ではないのでよく分からないが、一般大衆を、無批判な日本独尊の信念に燃えて愛国を叫ぶ右翼の方達と同じ心理状態に仕向けることが得意な前述の右派の政治家先生達は、本人達は否定するかもしれないが、結果的に、民族主義、国家主義、日本主義、精神主義、帝国主義を利用して集票している気がしてならないし、更には、川崎重工と三菱重工とNECや、元経団連会長のトヨタの奥田碩(おくだひろし)などがこうした政治家を金を使って支えていることから、資本主義、利己主義、ネオリベラリズム(新自由主義)等も戦争経済に大きく利用されていると言える。 では、前者の民族主義の利用についてだが、私の友人が語ったように、これまでの歴史で絶対的に固定化された民族など存在せず、言語、生活習慣、宗教、倫理感などをベースにした民族は、常に微妙に変化し続けている。そして、皮肉なことに、民族主義という考えそのものが近代的なものだという意見もあるようだ。しかし、右翼の方達の意見を拝聴すれば、彼らには彼らの独自の日本に対する精神性の存在があるようで、この考えに傾倒してしまう人達が生まれてしまうのも、ある種仕方がない気もする。これについては、私自身が勉強不足なので、その内気が向いたら考えをまとめたいと思う。 しかし、後者の人達に関しては、資本主義と利己主義をベースにした投機的な人間行動の結末が、目先以上の未来を見なかったことによる経済全体の崩壊と、人間性の喪失であることは、私にも容易に理解できる。 そして私自身は、竹中平蔵や奥田碩のように、金と引き換えに自分の人間性を売り払うよりかは、残りの人生は、拝金主義を抱いたことで失った自分自身の人間性回復に努めたいと考えるに至った。 |
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