Erv's Letters index Text by Erv Yamaguchi


道義的責任としての肉食拒否 2008年3月26日 20:45

宗教かなんか?(笑) ダイエット中?(笑)太りたくないとか?(笑) 人生損してるね〜(笑)何食べて生きてんの?(笑)栄養つかないゾw(笑)え、なんで?アレルギーとか?(笑)安い肉しか食べたことないんでしょw(笑)ハムやベーコンもダメなの?(笑)

最終奥義「植物だって生きてるんだから食べたら可哀そうですよ」固め


 我が国に存在する約1%程度のベジタリアン(菜食主義者)は、一言で言ってマイノリティーである。菜食主義者ではなく肉食拒否主義者の私自身、第三者と一緒に食事する機会があれば、変わった人扱いを受ける。しかし、無駄な論争をして精神的苦痛を増幅させても仕方がないので、静かにそっと暮らしているのが実情である。理由、我々は絶対平和主義者だからである。

 しかし、前回アップした『自己防衛としての肉食拒否』を読んだ読者は、これまで抱いていたベジタリアンに対するステレオタイプなイメージが少しは覆ったことだと思われる。つまり、これまではベジタリアンに対して、何かの宗教にハマってイカれた人達とか、ヒステリックに動物愛護を叫ぶシーシェパードのような集団とか、そんなイメージを抱いていたことだろう。
 しかし、自分達が狂信的だと信じていた人達は、極めて正当な、「人間は肉食に適していない」という原則に従い、むしろ自分達こそがアメリカの経済戦略に騙され、間違った理論で洗脳されているという事実に多くの人は驚愕したことだろう。

 ただ、面白いことに、どれだけ多くの証拠を提示しても、私にはあなたが絶対に肉食拒否主義者になどなれないことを確信している。多くの人は、例え肉食に害があったとしても、その味や、肉食文化をベースにした食文化の多様性には背を向けられないのである。

 予想するに、前回アップした『自己防衛としての肉食拒否』を読んだ読者の99%は、心の中で葛藤こそ生まれるが、絶対に肉食を拒否せず、そのまま自身の健康リスクを高めることを承知で刹那的に肉食を続ける。また、残りの1%の肉食を控え始めた人ですら、3日もすればそれまでの食生活に戻る。理由、「周りと一緒になれ」圧力のせいである。つまり、現在の日本では、肉食を拒否する食生活を認める社会構造にはなっていない。ほんの200年も前であれば全員が肉食を拒否していた島国を、ここまで作り変えたアメリカの洗脳は素晴らしく、ベジタリアンという言葉自体や、その言葉をベースにしたステレオタイプなイメージとか、こうした箇条書きは、全てあなたを洗脳する為のものであり、繰り返すが、農業大国の経済戦略でしかない。

 そしてあなたは、「別に経済戦略にハマっていてもいいよ、だって美味しいからw。むしろ美味しい食文化を提供してくれてありがとう、みたいなw」と開き直るのがほぼ100%のオチであり、99%の自分の支持者と共に、今後も肉食拒否主義者を蔑視し続ける。「美味しいものを我慢してまで長生きしたくないしw」と。

 つまり、伝統的で健康的な食生活を送って安らかに老衰で死ぬ人生よりも、目の前の美味しい肉を食べたいという欲求を優先して、生活習慣病で苦しんで死ぬ人生を日々選択しているのが日本人の現状という訳だが、我々は親族や友人や会社の同僚などが生活習慣病でバタバタと死んでいる現状を認識しながら、家族や友人に対しては、「美味しいから」とか「健康の為」と称して肉食を勧めている。冷静に考えれば、これは国民全体が陥った一種のビョーキなのではないだろうか? そして、こうした害悪を我が国に持ち込んだのが、繰り返すがアメリカである。

 よく、女性が男性を落とすには、「胃袋をつかまえろ」と、婚期の女性に料理がうまくなることを薦める助言があるが、まさにアメリカは日本人の胃袋をしっかりつかまえたと言える。

 つまりあなたは、悪魔と結婚したのだ。

★かすかな光
 「いやそんなに意固地になって卑屈にならなくてもいいですよ、別にベジタリアンの人達をそんなに差別してないし、むしろスゲー人達だな〜なんて思いますよ。でもやっぱ自分は(肉食うの)やめられないと思うな〜w」

 だからそれだよそれ。

 肉を食べる人達は、自分のことをタナに上げて、すでに自分のタナが一杯になっている。従って、私はもうすでにフツーの日本人に肉食拒否を勧めるのはほとんどあきらめていたのだが、私が肉食拒否主義者だということを知っている一部の熱狂的な『アーブの手紙』のワンフー(ファン)からの熱いラブコールに応えて、あえて肉食拒否の思想を語ってしまったのが前回の記述だった。(小林ゆきさんのブログなどどうでも良い)

 従って、私の予想に反し、まだ日本人も捨てたものではないというかすかな希望を抱いて、今回は、人間の良心に訴えるべく、地球規模での道義的責任を果たすという意味あいでの肉食拒否(特に牛肉)について語ってみよう。

★現実味が増してきた食糧危機
 地球には15億頭(人間4人につき1頭)のウシがいる。ちなみに、ウシの体重の合計は、人間の体重の合計を上回っている。そして、ウシは地球の陸地面積の4分の1で草を食べている。また、人類の5人に1人が栄養不足に苦しんでいるこの地球上で、ウシは穀物総生産の3分の1を消費している。そして、ウシの放牧地と飼料穀物の栽培は、森林破壊、砂漠化、淡水資源の圧迫、地球温暖化などの大きな原因になっていて、ウシほど世界経済と地球環境に影響を与えている存在は他にはいない。

 多くの人達は、ベジタリアンに対して、ウシが殺されるのが可哀そうだと考える動物愛護主義者だと思っているが、それはその通りだとしても、私のような菜食主義者ではなく、肉食拒否主義者は、ひたすら増え続けるウシに対して恐怖におののいていると共に、すでにウシの存在により人類の生存が危機的な状況に陥っていることに対して、正にイナゴの大量発生のような危機感を抱いているのである。つまり私は、動物愛護の精神で菜食というよりかは、自分自身が助かりたいという利己主義も含めて、人類愛護の為の肉食拒否を訴えている訳である。

牛が環境への最大の脅威 FAO報告

★報じられた現実
 先日、テレビ朝日の『サンデープロジェクト』という番組では、ヒトが50グラムの牛肉を食べると500グラムのトウモロコシが必要で、500グラムのトウモロコシを作るには、なんと1トンの水が必要だと紹介していた。





 また、この番組が放送された同日の同チャンネルの夜に放送された、『近未来×予測テレビ ジキル&ハイド』では、今度は地下水が不足していて、このままいくと深刻な食糧危機の時代がやってくると警告していた。



 アメリカでは、ロッキー山脈で降った雨がしみ込んで出来た地下水を汲み上げて農業を営んでいるが、この地下水が生まれるのには1400年もの年月がかかるので、汲み上げをやめても地下水の水位は元には戻らないという。





 こうした現実が迫ってくると同時に、世界の主要穀物生産国は、限られた食糧を自国の消費に回すべく、輸出規制も始めているという。つまり、これまでと違い、金を持っていても食糧が買えなくなる時代がやってきたのだ。

 そして、これまでは、現在の地球の穀物総生産高は、地球の人口を養うのに十分な量があるというのに、先進国の肉食という食習慣により、貧しい人達に食糧が回らないという不公平感、つまり、「ウシがヒトを食う」という現実を是正する意味で、私は先進国に住む人達の肉食を批判してきた訳だが、その穀物が地下水に頼って作られていたというのは盲点で、今後その地下水がなくなってくるとなると、例え先進国の人達が肉食をやめたとしても、圧倒的に食糧が足りなくなるという時代がやってきそうなのである。否、やってくるのである。

★道義的責任
 ヒヅメのあるイナゴ、つまりはウシの数を減らすことは、もはや人類にとって早急な政治的、経済的決断である。

 ウシの数が減りだせば、これまでウシの放牧の為に熱帯雨林を破壊していたトラクターやブルドーザーの役割も終える。熱帯雨林が破壊されないとなれば、牧畜業者や多国籍企業の手によって絶滅させられる予定だった動植物がそのまま生き続けることになる。
 ウシの数が減りだせば、地球の砂漠化の進行にも歯止めがかかる。
 ウシの数が減りだせば、淡水資源の圧迫も減少し、地球温暖化ガスの排出も減少する。

 日本人を含めた先進国の人達が肉食消費を劇的に減らすことに成功すれば、人間が作り上げた人工的なタンパク質連鎖が崩壊を始める。

 我々が今よりもずっとカロリーの低い食物を選択することで、地球上の自然は息を吹き返す。

 また、我々豊かな先進国に住む人間が、食物連鎖の低い段階に位置する食べ物を自発的に選択することで、他の貧しい国の貧しい人達に対する富の再分配が達成できる。すると、豊な人達は貧しい人達と出会い、そこで新しい人類の意識が生まれる。

 我々日本人が伝統的な食生活を復活すれば、我々自身の健康が増進し、元気になるだけでなく、貧しい人達の暮らしを助けることになる。

 しかし、あなたが肉食文化に背を向けることは、大胆な挑戦であり、大きな意識改革が必要である。そしてそれは、人間としてあるべき姿に戻ることへの意思表明である。

★方法論
 上記のストーリーは、飲み屋で一席ぶってもらって頂いても構わない話なのだが、そんなことをしても恐らく多くの場合は変人扱いされて終わるのがオチである。また、生半可な知識で一席ぶっても、他人から色々と突っ込まれると、あなた自身に肉食拒否に対する疑念が生じるのがオチでもある。従って、よほど心を許した人に、よほど丁寧に説明出来ない限りは、そのまま黙っている方が良い。

 それよりも、もっと簡単に肉食を拒否できる方法論を紹介しよう。それは、非常に単純だが、「私はアレルギーです」と言えば良い。私自身、普段はそう言ってテキトーに誤魔化している。
 しかし、この方法は、特にレストランなどでは予想以上に効果てきめんである。中には、オメデタイ新人ライクなウェイトレスなどは、平気でベーコンやハムなんかを出してくることもあるが、ある程度まともなレストランなどでは、下手こいてアレルギーの人にアレルギー物質が入った食事を提供して訴えられることを極度に恐れているようで、非常に丁寧に対応してくれる。

 また、実際に自分がアレルギーだとウソぶっこき始めて外食を始めると、思いのほか外食産業の人の対応が良いので、世の中にはアレルギーを持った人がホントに多いのだということを実感する。そうした経験を繰り返していくと、これまで屈していた「隣と一緒になれ」圧力に対してバカらしくもなってくるのだ。つまり、世の中には、すでに肉が食べられず仲間外れになっている人が沢山いることを知れば、「肉食を拒否して変人扱いされたり仲間外れにされたらイヤだな〜」というあなたの心配も杞憂に終わるだろう。まずはウソぶっこくことである。

★食生活の改善はじょじょにが鉄則
 これまでの私の文章はヒステリックだと感じている方も多いだろう。このヒステリックさに抵抗感を示すと同時に、やはりいきなりパーペキに肉食をやめることなど難しいと考えてしまう人も多いと思う。その通りだ。

 しかし、何も今からキッパリ肉食をやめる必要もない。以前にも記述したが、私ですらパーペキに肉食拒否主義者になるのに10年もの年月がかかったのである。従って、食生活の改善はじょじょに進めて頂いて構わない。急がば回れだ。

 つまり、肉が本気で美味しいと思っているのならば、1週間に1度の御馳走とか、そのようなレベルでスタートするだけでも無理がない。そして、普段は魚介類や野菜類のおかずを増やした食生活にするのだ。すると、当然、1週間ぶりに食べた肉はとてつもなく美味しく感じることだろう。しかし、こうした経験を繰り返していくと、次第に時々食べる肉が重っくるしく感じてくるのだ。つまり、普段に比較的さっぱりしたおかずを多く食べることを習慣にすることで、だんだんと体が肉食を拒否し出すのである。次に、もし、そういう気持ちが出てくるようなレベルになったら、例え付き合いの席などでも、前述のように「アレルギーです」で誤魔化せばいいだろう。それでも同席した人達がガタガタ言ったら、次から縁を切ればいい。「アレルギーだ」とか「医者に止められている」とか言ってるのに聞く耳を持たない人は、人間的に何か問題があるだろう。むしろそれをネタにしてその人を仲間外れにすべきだ。

 そして、時々食べる肉に関しても、どこで育てられた家畜なのか? 何を食べた家畜なのか? なるべく調べる習慣を持った方が良い。もし自炊の場合には、自然食品店などに言って、表示ラベルや説明文を熟読しよう。そうやって、自然食品店などに行き、表示ラベルを熟読する習慣を持つことは、副次的なメリットも多い。つまり、他の穀物や野菜などを購入する際にも、無農薬有機栽培かどうかとか、輸入食品か国内産かとか、そうした意識が高まるのである。ぶっちゃけ、その際に自然食オタクになってしまうことをお勧めする。

 そうすると、これまで意識していなかった、野菜の甘みとか旨みとか、そうしたことに関心が移行し、食事をする楽しみが、これまでのこってりとした味付けの肉食文化から、全く違った新しい野菜や穀物の持つ美味しさの世界に移行するのである。すると、あなたの目前には食の新たな世界が広がり、別に肉食を拒否することが、特別ストイックな世界なのだといった偏見もなくなってくることだろう。いいぞ、その調子だ。

 肉食拒否主義者などと言えば挑戦的だが、実は私自身は、穀物や野菜を毎日美味しく味わっており、コンビニやファーストフードで食事を済ませている現代人の方が、よほど不幸な食生活を送っている気がする。


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