Erv's Letters index | Text by Erv Yamaguchi |
アカウンタビリティ(責任)のない権力を許すな | ||||
2008年5月7日 9:47 | ||||
↓は、ビリー・ブラッグというイギリスの社会主義的な都市フォーク歌手の『アカウンタビリティのない権力を許すな』(No Power Without Accountability)という曲の歌詞を、私の友人が訳したものである。
高校を2ヶ月で中退した私は、民間車検場で整備士をやった後、18歳の時に転職してNC旋盤工になった。私はNC(工作機械を動かす制御装置)の言語である、Gコードというものを独学で1ヶ月ほどで習得し、すぐにNC旋盤を2台任されるようになり、毎日残業して機械の部品を削り出していた。 しかし、ある朝出勤すると、デカいクレーン車が会社にやってきていて、私が使っていたNC旋盤を運び出すと社長に言われた。どうやら、会社が機械のリース料を1年間くらい支払っていなかったらしい。その後、私は別のNC旋盤を動かすことになったのだが、他の職人の人達を含め、工場で働いている人達は、親会社から単価を叩かれても、みんな残業して必死に頑張っていた。 しかし、その後給料が遅配されるようになったことで、私は自分の身が危ないと思って会社を退職したが、間もなくしてその会社は倒産してしまった。 30代前後の頃は、私は大田区にある別の会社でマシニングセンター工として働いていたが、この頃も製造業は不景気の大打撃を受けていて、隣近所の工場がバタバタと潰れていく状態だった。原因は、中国や台湾や韓国の単価に勝てないことだった。つまり、↑の歌詞に出てくるような状態を、私自身は大田区の町工場で目撃していた。 私は小さい頃から機械イジりが好きな少年だったが、現在では、それがキッカケで機械関係の仕事に従事してしまった自分を愚かだと思っている。 なぜならば、落ちゆく業界や潰れる会社で働いた結果報われなかったとしても、それは竹中平蔵いわく、“自己責任”だからである。 “自己責任”。権力者にとっては、なんとも都合のいい言葉だ。しかし、権力者の責任とは何なのだろうか? えっ? 何々? 法律を守って儲けることだって? 自分達の都合のいいように作った法律でかい? つまり、我々はドロボーに見張りを頼んでいるようなものだな。 ★追記:友人からの紹介そのまま
(6分48秒の映像です) |
|