Erv's Letters index Text by Erv Yamaguchi


現実味を帯びてきたmotoGPの終焉
2009年2月10日 10:25


希望にすがりつくのは現実と向き合えない弱虫だけ

『ダーク・エンジェル』の冒頭のセリフより


 冗談ではなく、motoGPの死期が迫っている。キッカケとなるのは、大方の予想通り、GP250の4スト600化だろう。

2008年のGP250のリザルト

 ↑のリザルトを見てみると、一番下のコンストラクターのリザルトにて、1位がアプリリアで、2位がジレラ、3位がいなくなる予定のKTMという結果だった。
 日本のメーカーはというと、ホンダはアプの約半分のポイントしか稼いでおらず、ヤマハに至っては、たったの1ポイントしか得ていない。
 果たして、この100年に1度のみぞーゆーの経済危機において、イタリアのメーカーがコンペティブな4サイクルエンジンの開発などにつぎ込む金があるのだろうか?

 そもそもについて語ってみよう。motoGPにおいて、一番上のmotoGPクラスを4スト化に導いたのは、2ストが心底嫌いだったホンダであり、この2スト500から4スト990(その後800)への変化は、本人達は否定するだろうが、政治が大きく関わっていた。つまり、環境問題がクローズアップされるにつれ、2ストバイクは姿を消すというのに、マーケティングに効果がない2ストに開発費など出せないということである。

 しかし、昨年に日本のメーカーも事情が変わった。すでに4サイクルエンジンですら、マーケティングに効果がなくなり、世の中は次世代のエンジン、つまり電気自動車や電動バイクへのシフトの方が優先課題となってきたのである。

 こうした急激な環境の変化の中、タテマエや意地をベースにして、予定調和的に2スト250を4スト600化しても、誰もエンジンを作る人がいないという事態になりかねない。4ストのレーシングエンジンの開発費は莫大であり、作った後のチームの運営費もバカにならない。

 私が思うに、4スト600とは、非常に中途半端なバカげたアイデアだと思われ、motoGPを、ホンダのエロオヤジ、いや失礼、創業者の言葉を借りて、“走る実験室”にしておきたいのであれば、もはや開発の意味などない内燃機関に頼るよりかは、いっそのこと電動バイクのレースにした方が、新しい技術の発展の為になるだろう。

 あるいは、motoGPが技術の最先端を具現化する場所だといった強迫観念から逃れる為に、あえて、motoGPをもっとマイナーなものにしてしまうというのも、ひとつの手である。例えばカートの世界を見てみよう。カートの世界では、未だ2ストのエンジンが使われているが、社会的に見てマイナーな分野なので、あまり環境破壊しているカテゴリーだといった攻撃はされていない。実際、カートの排出する排気ガスなど、ランボルギーニの社長のように開き直ってしまってもいい程度の、些細な環境破壊に過ぎない。従って、motoGPも、カートのようにマイナーな分野に成り下がることで、これまで通りのアプリリアカップ、いや失礼、2トス250のレースを存続させた方が、motoGPの延命に効果的だろう。

 つまり、私が思うに、過去に生きた生物に対する冒とくの証である化石燃料を直接消費する内燃機関をすっとばして一気に電動バイクに飛躍するか、あるいは、懐古主義チックに2ストのままいくか、いずれにせよ、振れ幅は大きい方がよく、4スト600化は、あまりにも中途半端なアイデアだと思われ、GP250がこのまま本当に600に移行すれば、サイゼリアの店員数のような、頼りない台数で開催されているmotoGPクラスと同じ道を歩むことだろう。

★第3の道
 上記のプロローグは、サーキット野郎が数人集まれば、フツーに繰り広げられる面白くもおかしくもないストーリーなので、ここはひとつ私の文章らしく、誰もクチにしない第3の道について提言してみよう。

 私が考えるGP250の新レギュレーションは、250ccの4サイクル単気筒のターボ化である。
 現在の技術力で、4スト600のレーシングマシンを開発した場合、それなりに軽量な車体は出来上がり、市販車の600よりかは250のレーサーに近い作りになるとは思うが、250のレーサーを間近で見た経験のある人なら分かる通り、250よりかは絶対に大柄で重い車体が出来上がる。
 また、エンジンに関しては、4気筒に16本のバルブがあるエンジンの出力を最大化しようと努力すれば、すぐに高回転の争いとなり、コストが青天井に上昇する。つまり、金があるチームしか生き残れなくなる。否、そもそも金があるメーカーしかチームが作れない。

 これに対して、4スト単気筒エンジンは、2スト250よりかは大柄だが、幅は狭く、エンジンは4輪のエンジンをチューニングしていて、オートレースのエンジン程度は供給できる、HKSレベルの小さな企業でも作ることが出来るので、高コストな4気筒エンジンを作ることが出来る大企業のみのレースにするよりかは、よっぽど世界から沢山のコンストラクターの参加が期待できる。

 しかし、そうはいっても、自然吸気の4スト250では、パワーなどほとんど発揮されない。そこでターボの追加である。

 かつてその昔、4輪のF−1がターボエンジンを採用していた頃、ホンダはV型6気筒1500ccのエンジンから、常用で1000ps以上、予選時には1500ps以上を引き出していた。そして、6気筒1500ccのエンジンを6分の1にスケールダウンすると、あら不思議、250ccの単気筒エンジンが出来上がり、パワーは驚くことなかれ、なんと166psを発揮する計算になる。(予選用なら250馬力だ)

 もちろん、ターボチューンしたクルマのボンネットをあけた経験のある方ならお分かりだろうが、ターボチューンしたクルマのエンジンルームは、エンジンの部屋というよりかは、補器類でギッシリ埋め尽くされている。具体的には、タービンはいわずものがなだが、インタークーラーやウエストゲートや、その他色々である。また、ターボエンジンには、ターボラグを解消する為に、これまた様々な補器類が必要になるが、ある意味、単に機械の精度を上げていくことで、青天井にコストが上昇する自然吸気のエンジンよりも、“大味”チックに、補器類を投入するだけで安易なパワーが入手出来、後はチューナーのセッティング能力にかかっているというターボエンジンの方が、コストはイコールコンディションで、あとはチューナーのウデ次第という争いにしやすいことも想像できる。

 また、これは余談だが、レシプロエンジンで最も振動が少なくスムーズに回るエンジンは、ストレート6だが、これが為、直列6気筒のエンジンは、“シルキーシックス”などと呼ばれ、根強いファンがいる。また、フェラーリなどの12気筒エンジンは、ようするにストレート6を2つつなげたエンジンなので、これまた究極な感じがする。これに対して、V型エンジンは、90度のV型であれば、一次振動がゼロで、あるいは、挟み角がどうであれ、位相クランクを採用すれば一次振動はゼロになるので、V型エンジンも比較的スムーズなエンジンを作りやすい。しかし、単気筒エンジンは、私は自分が乗っていたから知っているが、とてつもなく振動がでかい。これに対しては、以前、偉大なるドゥカティのマッシモ・ボルディ博士か誰かが、Vツインの片側がウェイトになったような、振動を帳消しにする素晴らしいシングルエンジンを開発していたような気がしたが、たしかマッシモ・ボルディ博士はトラクターメーカーかどこかに転職してしまったような気がしたので、この素晴らしいエンジンの話は立ち消えになったような気がする。(私のうろ覚えの記憶なので、開発者は別の人だったかもしれない)

 話が脱線したが、単気筒エンジンは振動がデカいが、これを緩和する意味でもターボは有効だ。
 エンジンがなぜ振動するかと言えば、燃焼室で爆発している時と爆発していない時があるからだが、“回転による振動”に関しては、それを帳消しする為に、シルキーシックスのように別の気筒とバランスをとったり、あるいはバランサーを搭載する必要があるが、それとは別に、エンジンには爆発の振動があり、爆発の振動は、クランク1回転あたりの爆発の回数が多いほど軽減される。しかし、ターボの場合、通常なら“それまでの勢いで”ピストンが下降する自然吸気のサイクルの際、タービンが混合気を強制的にシリンダーに送り込むので、爆発とまでは言わないまでも、多少振動も軽減されるのである。
 また、排気ガスがそのまま排出されず、一度タービンを通過するために、排気音量も抑制されるので、レーサーならば恐らくサイレンサーの必要性もなくなるだろう。

 また、サイクルはどうであれ、250ccの排気量を継続することが出来れば、長い間親しまれてきた、“250”のネームバリューの存続にも役に立つ。

 つまり、私が提唱する250ccの4サイクル単気筒のターボ車は、幅が広い4気筒600ccのエンジンのかわりに、幅が狭く小さな250ccエンジンの周りに、タービンやらインタークーラーやらがギッシリと埋まる車体が出来上がる訳だが、motoGPマシンのスケールダウンや、あるいは市販車の600よりちょっとレーシングライクだというレーサーよりも、よっぽどこちらの方が技術的にもワクワクしないかね?

 そして、1ドルが100円を切っただけで息も出来なくなってしまうような大企業にmotoGPの未来を委ねるよりかは、HKSレベルの小さな企業に、あっという間に出来上がりそうな、ターボをつけて無理やりパワーをひねり出した4サイクル単気筒エンジンを30数台分用意させ、あとは、ハリスとかスポンドンとかニコバッカーとかバカバッカーとか、伝統的なシャーシコンストラクターにそのエンジンにあわせたシャーシを作らせて、古き良き時代のように、様々なコンストラクターが自身のアイデアで勝敗を争うレースにしていった方が、技術オタクも楽しめるレースになるのではないだろうか?

 技術オタクだけではない。メカオンチの素人達は、SBKの600とmotoGPの600が別物だということをなかなか理解することは出来ないだろう。しかし、250ccのバイクが150馬力前後のパワーを発揮していることを教えれば、例えメカオンチの素人でも、motoGPでは何か特別なことが起きていると察することが出来るだろう。これぞコンペティブなmotoGPの存在意義であり、市販車ベースのSBKとの差別化になるのではなかろうか?

 まー、私自身は、バカげたmotoGPや内燃機関に未練などないどころか、視界に入れるだけで胸くそ悪くなるので、どーでもいい話だが、バイクと過給機の親和性について全く論じることも出来ない硬直化した2輪業界関係者のバカさかげんに対して、今回は皮肉を込めてイヤミを語ったつもりである。




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