Erv's Letters index Text by Erv Yamaguchi


オカルト信仰
2009年4月28日 12:00

 突然だが、皆さんはボルトやナットをゆるめたりしめたりしたことはあるだろうか?

 バイクというのは、はめ込み式のタイヤや、Rピンでとまっているパッドなど、そうした特殊な場所をのぞき、大抵はボルトとナットで組み上がっているので、整備したりチューニングしたりする時には、不可抗力にこのボルトやナットのゆるめしめをするハメになる。

 しかし、このボルトやナットをゆるめたりしめたりと言った作業は、それなりに奥深く、この単純作業をストレートにイヤがるバイク乗りもいる。

 恐らく、そうしたメカオンチの方達は、バイク全体をブラックボックスととらえ、もし自分なんかがボルトをゆるめたりしめたりすれば、走行中に車体がバラバラになってそれこそ事故でも起こしかねないという強迫観念を持っているのだろう。

 また、バイク屋にやってきたお客さんによくいるタイプで、ボルトやナットをゆるめたりしめたりは出来るのだが、ブレーキ関係の整備だけは怖いのでプロにやってもらっているという人もいる。こうした人なども、自分のデーウーに自信がないので、こうした行動を取るのだろう。

 また、メカニックの頂点とも言うべきレーシングメカニックの方達は、ボルトやナットのゆるみしめにも、それなりのテクニックやこだわりがあるようなので、今回は、メカニックのヒエラルキーを、ボルトをしめるという行為で段階的に考察してみよう。

 えっ? 何々? そう、仰る通り、マーヒーなんだよ。(爆)

★初めての整備レベル
 ではとりあえず、説明のしやすさから、フロントのブレーキキャリパーを取り付けるという単純作業で比較するとしよう。ちなみに、現在のSSはすでにみんなラジアルマウントキャリパーになってしまったので、本当はラジアルマウントのキャリパーが登場する前にネタにしたかった文章なのだが、まー出てしまったものはしょうがないので、この文章は、進行方向に対して縦にボルトが入るラジアルマウントではなく、昔ながらの横方向にボルトが入るキャリパーという前提で読み進めて頂きたい。

 では、もしあなたが、生まれて初めてバイクのキャリパーをフロントフォークに取り付けることになったとしよう。あなたは、キャリパーの穴とフォークの穴をテキトーにあわせた後、まずは1本ボルトをしめこみ、次に、2本目のボルトをしめこんで、とりあえず力一杯ボルトをしめてキャリパーを取り付けることだろう。そして、心の中で、「つけたどー!」(獲ったどー!ライクに)とつぶやくに違いない。おおっ! コングラッチュレーション! ブレーキ関係だからと言ってビビっていたクセに、なんてことなく、とりあえずキャリパーの取り付けに成功したじゃないか! いや〜やったね! 素晴らしいよチミは! そうやって、リスクをテイクして人生というのは突き進んでいくしかないのだよ! もうこれで次回からは、金がかかるバイク屋なんかにまかせなくても、自分でキャリパーくらい取り付けられる、いっちょ前のサンデーメカニック誕生だ! バンザイ! チミの勇気と行動力に拍手!

★近所のバイク屋レベル
 もちろん、↑の素人レベルでは、プロの職場と言えるバイク屋では通用しない。

 もしあなたが、どっかのバイク屋で働く整備士なら、↑みたいなサンデーメカニックの仕事っぷりを見て、「あ〜あ、素人だからしょうがね〜な〜」と心の中でつぶやくことだろう。

 そう、もしあなたがロープーの整備士なら、最初の1本をガーッとしめこんだりせず、2本を少しずつしめていき、2本のボルトの座面がフォークに軽く触れたのを確認してから、更に2本のボルトを交互に少しずつしめていくことだろう。

 この辺りが、ボルトに対するいたわりが表れる、素人とロープーの差と言えるのかもしれない。

★レーシングメカニックレベル
 上記の近所のバイク屋レベルでは、とりあえずキャリパーなんて、走っていて脱落しなければいいので、↑みたいな方法で十分だが、レーシングメカニックとなると、なんとしてでもライバル車に対してアドバンテージを稼ぎたいという想いが入ってくる。

 従って、ただボルトをしめただけでは、ボルトの座面での圧力でキャリパーがとまっているだけなので、より剛性感を上げる為にも、別の仕事も加えることになる。

 そう、キャリパーというのは、70年代のAMAスーパーバイク憧れ調の、APの2ポッドをフォークの前方に取り付けてしまう新井(弟)選手のZは別にして、現在は昔と違い、キャリパーの冷却よりも、ステアリングの軸に対して近い部分に重量物を置くことで、ハンドルが振られた時の慣性を少なくしようと、キャリパーはフォークの後方に位置している。そして、ブレーキをかけると、キャリパーはフォークに押し付けられる方向で力が働くので、キャリパーをとめる際も、単にボルトの座面の圧力でとめるだけでなく、キャリパーをフォークにおしつけながら、ネジ穴とネジの側面が、フォークに押し付けられる方向でガタがない状態を保ってボルトをしめつけると、よりブレーキング時の剛性感が上がる。

 この辺り、キャリパーをフォークにおしつけながらボルトをしめるかしめないかで、バイク屋レベルと、レーシングメカニックレベルに分けることが出来る。

★レーシングメカニック鬼編
 更に、もっとライバル車に対するアドバンテージに対する執念が大きくなってきたレーシングメカニックは、正直、効果があるかどうかなど疑わしいレベルにて、ただキャリパーをフォークに押し付けるだけでは納得できなくなってくる。

 そう、片方の手でキャリパーをフォークに押し付け、そしてボルトの座面が2本とも軽くフォークに触れた後、ボルトをしめる順番にまで気を使うのだ。

 つまり、右側のキャリパーであれば、上側のボルトをしめると、せっかくフォークにおしつけたキャリパーが、ボルトの回転により、キャリパーの下側がフォークから離れてしまう力が働いてしまう。従ってこの場合は、必ず下側のボルトから先にしめなくてはいけない。下側であれば、ボルトをしめる回転方向の力が、キャリパーをフォークに押し当てる方向で働くからだ。

 同様に、左側のキャリパーの場合には、今度は上側のボルトからしめなくてはいけない。

 上記は、説明がしやすいように、旧タイプのキャリパーの取り付けで解説したが、骨のあるレーシングメカニックなら、ボルトをしめる時の回転方向の圧力が、パーツが組み上がった後の剛性にポジティブな働きがあるようにいちいち頭を使ってボルトをしめるだろう。

 そして、どうしてこんなに細かいことにまでこだわるのかと言えば、それはとにかくライバル車に勝ちたいという想いがレーシングメカニックのプライドやこだわりの醸成のベースにあるからである。

★レーシングメカニック神編
 「そんなことは500も承知だ」と、あなたは言うかもしれない。そう、こんなメカの基本中の基本の話をたいそうにネットに上げて自慢してどうすると、メカに詳しい方なら鼻で笑うことだろう。

 もちろん、私だってこんな話を自慢したい訳じゃなく、上記はいつもの長い長い回りくどい“前フリ”だよ。

 つまりここからは、ありきたりなメカニックでは絶対に書けない、私だからこそ書ける未知の領域なんだよ。ククククク…。

 そう、レーシングメカニックが、ライバル車に対して、「ゼッテー負けねー」という想いが強くなってくると、ボルトをしめる時に、“祈る”んだよ。

 えっ? 何々? 聞こえなかったって? ではもう1度言おう、“祈る”んだよ。(爆)

 そう、ボルトのしめ方なんぞ、ちょっとデーウーがあれば、誰がしめたってほとんど同じとなってくれば、後に残るのは、自分の中の「ゼッテー負けねー」という執念を、ボルトやパーツに送り込むしかねーだろ。

 そう、“祈り”とは、「意が乗る」とも書けるように、自分の中の「ゼッテー負けねー」という想いを、意に乗せてボルトやパーツに伝えるんだよ。

 つまりオカルトの力を利用するんだよ。(爆)

 しかし、長いことレーシングメカニックをやっていたことがある人なら、魂を込めたマシンが非常に調子良く走ったというような不思議な経験を繰り返すことで、非科学的なこうしたオカルトを信じるようになってくる。

 バイクではないが、例えば私は以前、仕事でマシニングセンタという工作機械を動かしていたが、仕事中に“ノッて”くると、マシニングを手足のように操っているような快感を得ることがあるが、何か自分の想いが伝わると、とてつもなく機械の機嫌が良いように感じたり、あるいは逆もしかりで、なんだかうまく機械と波長が合わないという日もある。

 私はこうした経験を繰り返し、自分の中である仮説を立てている。それは、日本古来の神道ライクなものの考え方で、万物には神が宿っているという多神教的なロジックだ。

 つまり、工具をセットしたりなど、工作機械をセッティングする時も、シニシズムチックに仕事せず、「鉱物にも魂が宿っている」と信じながら仕事すると、工作機械がその想いに応えてくれたりするのである。

 また、機械相手の仕事をしている人やレーシングメカニックではなく、タダのパンピーライダーの方だって、乗ってるバイクの洗車をしてやったら調子が良くなったとか、しばらく乗らなかったらバイクがグズったとか、そんな話を聞いたり自分が体験したこともあるだろう。

 同様に、レーシングマシンも、それをチューニングするメカが、パーツを構成する鉱物の分子に宿った魂に自分の想いを込めてマシンを整備すると、調子よく走ったり、あるいはそのレーサーには独特のオーラが出たりすることがある。

 そして、私のこれまでの経験で、パドックを歩いていて、そうしたオーラのあるマシンというのは、多くの場合、GP125やGP250といったレーサーである場合が多いが、恐らくそれは、125や250のレーサーは、1回の走行毎に全バラして、各部をチェックしてからまた組み直すという作業を日常茶飯事に行っている為で、その中に“神”クラスのレーシングメカニックがいると、出来上がったマシンからオーラが出たりするのだろう。

 素人の方達は、とかくデーハーなパーツてんこ盛りの龍宮城ライクなマシンに目を奪われがちだが、なんてことはなく、ほとんどノーマルライクなレーサーでも、組む人でマシンから醸し出すオーラが違ってくるので、オカルトレベルに達した玄人メカニックは、そうしたマシンから作り手の執念を感じ取ることが出来る。

★そんな話は意にも介さない天才ライダー達
 えっ? 何々? 「そりゃー御苦労なことだけど、俺には全然カンケーなく、別にどんなバイクだろうとデーウーだけで速く走らせてやるよ」だって。そう、そんなメカオンチな天才肌のライダーは、そのまま突き進んでよろしい。上記は、あくまでもメカニックの世界の根性論に過ぎない。つーか、オチがオカルトだよ。(爆)

 皮肉なことに、メカがどんなに心血注いだバイクだろうと、単純に天才肌のライダーがライバル車に乗っていただけで、フツーに整備されたマシンが勝ってしまうというのが、冷厳な現実でもある。

 ぶっちゃけ、マシンの基本性能が高く、ライダーが天才なら、一番上にスクロールして、そこに書かれている、1本ずつテキトーにボルトをしめちゃうようなスタイルで組んだバイクでも別に問題なかったりもする。(笑)

 なので、誰よりもデーウーに自信があるライダーであれば、メカオンチ上等で、そんなタイプでチャンピオンになったライダーも現実に沢山いる。

 しかし、恐れなければならないのは、フレディー・スペンサーとアーブ金本とか、バレンティーノ・ロッシとジェリー・バージェスとか、天才と天才が組んだ時であり、不思議なことに、サーキットのトラックの上では、科学は万能と信じるタイプの生徒会長みたいな人達ではなく、レーシングマシンを構成する鉱物に宿った魂だけが、天才同士の組み合わせに気付いて反応したりするのだ。




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