Erv's Letters index | Text by Erv Yamaguchi |
ジョージ・W・麻生 |
2009年6月18日 11:47 |
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先日、新興国として急成長している中国が、温室効果ガスの削減に対して、日本がもっと高い目標を掲げてくれないと、中国も頑張れないみたいなコメントをしていたので、それまでは、中国やインドといった国々は、これから成長する自分達と、すでに成長した先進国が同じような見られ方で削減の目標を立てられるのは迷惑だといった論調だったというのに、その中国からもっと頑張れと言われてしまうとは、一体どういうことなのかと不思議に思っていたが、マスコミも大して麻生のことを叩いていなかったので、相変わらず何かの偏向があるのかと思っていたら、案の定、日本のマスコミがスルーしているだけで、他国からは叩かれているようだった。 ちなみに、マスコミとは、Mass Communicationの略なので、この言葉の本当の意味は、「大衆に対する情報コントルール」であり、正に我々はマスコミによりコントルーロールされていると言える。 これに対してインターネットが出現したことで、個人の側から“真相究明”の活動がしやすくなったのは事実だが、日本ではまだまだインターネットをする人は少ないし、インターネットはマスコミと違って、自分が欲しい情報を“引き出す”ツールなので、マスコミのように一方的に情報を集中砲火させることで大衆をコントロールすることが出来ない。 つまり、知的エリート達の大衆蔑視に対して抵抗する者にとっては、まだまだ歯がゆい状態な訳だが、こうした問題は、メディア・リテラシーなどと言った甘っちょろい問題ではなく、我々がいかに情報によってコントロールされているか、もっと言えば、いかに我々の脳に知的エリート達が侵入しているかと言った問題なのだと思われる。 つまり一言で言って、我々は“洗脳”されている。 ★コーポレートクラシー ベン・バグディキアンというメディア評論家は、「対立する意見を採り上げるようなシリアスな番組ではなく、“現実逃避的”な享楽的な番組を放送するようにテレビ局に望むのは、スポンサーである大企業だ」と言っている。 つまり、テレビのゴールデンタイムにお笑いなどのバラエティー番組しか放送されないのは、広告スポンサーたる大企業の意向なのであり、もう少しソフトに表現すれば、番組制作サイドのスポンサーに対する気遣いである。 そう、大企業は、大衆が深く物事を考えないような従順かつ鈍感な生き物にしておく方が都合が良いのだ。 そして、今回、温室効果ガスの削減目標を低く掲げるよう麻生に圧力をかけたのは、環境保護論者なら誰でも知っている通り経団連会長のキヤノンの御手洗冨士夫(みたらい ふじお)だが、正に日本の大企業は、自分達さえ良ければそれで良いという独善性をもって政府与党とマスコミをコントロールしている。 では、マーヒーなので、マスコミにとっていかに御手洗がタブーになっているかについてでも語ってみよう。 マスコミでは、大企業を批判することはタブーとされているが、それは、大企業を批判すると、メシのタネである広告を引き揚げられてしまい、文字通り“おまんまの食いあげ”となってしまうことや、更には、広告費を引き揚げられるだけでなく、巨額な損害賠償請求訴訟を起こされれば、むしろマイナス勘定となってしまうので、マスコミも大企業批判に対しては腰が引けてしまう。 そして、その“脅し”が本物であることを証明して見せたのが御手洗富士夫であり、御手洗富士夫は2007年にこの“広告引き揚げ”と“高額訴訟”の両方を行ってみせた。 当時『週刊現代』は、「キヤノン御手洗富士夫“格差社会”経営の正体」という記事を書いたが、この記事に対して御手洗富士夫は、発行元の講談社と、記事を書いた斎藤氏に対して、それぞれ1億円の賠償金と謝罪広告掲載を求めて提訴した。ちなみに、この高額訴訟は、印紙代だけで62万円という大企業のなせるワザだ。 また、御手洗富士夫は、偽装請負問題や道路特定財源に対するキヤノンの姿勢を朝日新聞から追及されたことを機に、朝日新聞への広告出稿を停止するという荒業も行っている。 こうした社会的な威圧効果を駆使する“大人げない”御手洗富士夫という人物が、経団連会長という社会の公器としてふるまっているのが我が国の現状な訳だが、こうした事実を知れば、御手洗富士夫の人間としての器の小ささをあなただって感じ取ることが出来るだろう。 しかし、繰り返すが、そうした情報はマスコミではほとんど取り扱わない。そして、こうした情報にアクセス出来るのは、せいぜい週刊誌かインターネットの世界だけだと言える。 しかし、楽観的に未来を見つめれば、現在、テレビの視聴率は下がり続けているし、インターネットの利用者は増え続けている。果たしてこの傾向により、コーポレートクラシー(企業利益優先)という現代社会が、民主社会主義的な社会に変わっていくのだろうか? もちろん、占い師がうっかり口を滑らせて未来を語らない限り誰にも分からないが、今のところ、その辺りにしか明るい未来を見いだせないというのが現状なのだと思われる。 ★プログレッシヴ ストレートに右翼や、あるいはネオリベラリズム(新自由主義)のような“経済右派”の、どちらも私は反対で、私は非武装中立論を唱える絶対平和主義者だが、右派の人達が私を見れば、私は“バカサヨ”扱いされるのだろう。それならそれで別に構わないのだが、(笑) “左翼”と言っても、その昔は武力闘争を使った人達もいたし、左翼の内ゲバによって殺し合った人達もいるので、私のような平和主義者を左翼という枠でくくるのには抵抗があるのも事実である。 そして、アメリカの民主党も、自分達のことを左翼と呼ばれることに抵抗があったようで、彼らは自らを“リベラル”と名乗り出した。 しかし、現在の格差社会や世界の貧困の問題を生み出したのは、コーポレートクラシー(企業利益優先)に原因があるというのに、アメリカの民主党も大企業から献金を受けているので、あかるさまな企業批判が出来ないという弱さがあった。 これに対して、世界中の平和主義者でコーポレートクラシーに対して批判的な人達の心の奥底で、全く新しい民主社会主義的なカテゴリーを表す言葉が欲しいという想いが強くなっていったが、私自身は、恐らく日本で初めて、左翼でもない、リベラルでもない、コーポレートクラシーを批判できる絶対平和主義者としてのカテゴリーを、“プログレッシヴ”と呼ぶことにした。 なので、これを読む皆さんも、私のことは、今後はバカサヨなどと呼ばず、“プログレッシヴ”と呼んで頂きたいと思う。 えっ? 何々? サスペンションの特性のことじゃないよ。(笑) ★エピローグ 皮肉なことに、キヤノンやトヨタが企業利益を優先して、ネオリベラリズム(新自由主義)を推進しようとすればする程、経済は破たんし、商品を買ってくれる人達がいなくなってしまうという皮肉なパラドックスがある。(年収200万円以下の人達が増加して、どうしてクルマが売れよう) そのことを早くから指摘していたのが、京セラの稲森会長あたりだったのだと思うが、大企業は何もトヨタとキヤノンだけではないので、経団連や政府与党に距離を置き、“自分のビジネス”を遂行している大企業の経営者も沢山いる。 つまり、誤解してもらいたくないのは、大企業が利益を出そうと、お金持ちが世の中に存在しようと、弱者が切り捨てられなければそれで良いと私は考えている。 問題なのは、弱者を切り捨てた上で利益を上げたとしても、それは全然褒められたことではなく、むしろ、弱者を救済し、安心できる世の中にして、ボリュームある中流層が増加しなければ、経済も発展せず、大企業も生きていけないということに、とっとと世の中の人達に気付いて頂きたいと私は考えている。 ホント、キヤノンの御手洗やトヨタの奥田がやってきたことは、経済界の立場からモノを見たとしても、正に天に向かってツバしている行為で、私の提言は、“弱者の味方”というだけでなく、“強者の味方”でもあり、弱者も強者もみんなが共存共栄(あるいは共存共貧でもいいがw)していける世の中にする為にも、マスコミの正体を冷厳に分析出来る、民度の高い民衆の政治参加が望まれる訳だが、日本人の多くはそれでも、石原、東国原、橋下、森田などに票を入れてしまうので、改めてマスコミの大衆コントロールに対して舌を巻いてしまう。 しかし、私の意見は、マウスを使えない老人達には届かないので、自然死しない限りは、今後も単純に有名人に票を入れてしまうという老人達は減っていかないと思われるが、これまで選挙に行かなかったという、マウスを使える若者達は、都議選や衆議院選挙では、是非、自公以外の議員に投票して、これまで弱者を切り捨ててきた大企業とズブズブの関係にあった自民党を、今後はマイノリティーに追いやって頂きたいと思う。 |
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