Erv's Letters index Text by Erv Yamaguchi


『オリンピックはいらない!』とロードレース(4)
2009年10月13日 10:06

★お役所
 簡単に言って、日本のロードレースが盛り上がらず、社会的認知度も高まらないのは、文部省という名の“おかみ”の管轄の財団法人、つまり、漂白された、骨抜きの、おとといきやがれ方式のMFJに運営を任せているからであり、仕事内容が典型的な“お役所仕事”だからであり、それが問題であることが一気に露呈した最近の出来事としては、民営にて一気に盛り上がったモタードブームが、MFJ管轄になったことで一気に衰退したことがよく物語っている。

 また、少し前の記述では、空前のロードレースブームのリアルタイム世代がロードレースに対してシラけた理由を、英才教育と金のせいだと私は書いたが、別の理由としては、漂白された、骨抜きの、おとといきやがれ方式のMFJに対して、我々はホトホト呆れたという事実もある。

 また、この“お役所”と癒着した一部の勘違いチームの長達が、前述のあきれた縦社会や懐かしい根性論的な悪しき慣習をパドックに振り撒いているのも原因だというのに、これまでにそれが問題提起されることもなかった。(手前味噌だが、このエントリが初めての問題提起かもしれない)

 例えば、少し前の出来事で、SBKで活躍するユッキー(加賀山就臣)が、日本に久々に帰ってきて全日本のJSBに参加することになった時、世界で活躍しているユッキーが帰ってくるのだから、人気がない人気がないと散々言われている全日本のJSBにとっては、正にライダー人気便乗(笑)でレースを盛り上げる千載一遇のチャンスで、ユッキーに対して歓迎こそすれ、冷遇する必要性など何もないというのに、漂白された、骨抜きの、おとといきやがれ方式のMFJは、あろうことかユッキーに対してパドックの割り当てを意地悪するという暴挙に出た。つまり得意の“おとといきやがれ方式”である。

 結果的には、むしろこうした冷遇がユッキーの闘争心に火を点けたのか、レースでは大活躍したようだが、漂白された、骨抜きの、おとといきやがれ方式のMFJに対しては、正にザマーミロと言った気分だ。

 これは1つの例に過ぎないが、こんなレベルのオーガナイザーがエンターテイメントを演出できると考える方が無理な話で、漂白された、骨抜きの、おとといきやがれ方式のMFJは、世界で活躍する選手をマーケティングに活かすという発想はなく、前鈴木会長やカミチューこと神谷忠は、低迷する日本のロードレース界において、ユッキーの全日本の参戦よりも、石原がバラまく税金の方が千載一遇のチャンスだと考えた。

 バカげている。最高にバカげている。

 正に類は類々と言った、お役所同士の癒着構造である。

★エンターテイメント
 モータースポーツは、Xスポーツ(危険だが刺激が強い極限スポーツ)の一歩手前に属すカテゴリーなので判断に迷うのも分かるが、モータースポーツに属すカテゴリーが、「青少年の健全な精神の発展」伝々を語り始めたら、そのカテゴリーは確実に死ぬ。

 冷静になって考えてみれば分かることだが、環境破壊の象徴であるモータースポーツが、青少年の健全な精神の発展に寄与するなどという考えは、缶ジュースのフタがプルトップになっただけでエコマークが入るような、超ど厚かましいバカげた主張でしかない。

 モータースポーツは、単にクルマやバイクを競争させるだけのシロモノ家電なので、これはそのまま民営にてエンターテイメントとして発展させることが、むしろ健全な姿である。子供の教育など全く関係ない。

 いやむしろ、ロンハーのように、親達が最も子供に見せたくないと後ろ指を指す対象になるくらいで丁度良い。

★死期が近づきつつあるMFJ
 視聴者様は、キテレツ難解部品なブ厚いMFJのルールブックなど欲しておらず、もっと単純でシンプルな“ストーリー”を求めている。

 モータースポーツで言えば、“速いか”“遅いか”である。あるいは、“面白いか”“面白くないか”である。

 残念ながら、日本のロードレースはエンターテイメント性がほとんどないので、今後も盛り上がることはなく、ただひたすら衰退していくことだろう。

 具体的に言えば、80年代の空前のロードレースブームの時に稼ぎ出した共益費の約10億円が、1年に1億ずつくらい減少していくことで、漂白された、骨抜きの、おとといきやがれ方式のMFJは、あと10年で自然死すると私は考えている。

 カミチューを始めとした内部の人間も、減っていく共益費と増えないサーキット人口という現状を冷厳に踏まえた上で、2年前に三宅島モーターサイクルフェスティバルの構想が日本のロードレース界を救う千載一遇のチャンスだと思ったようだが、その先見は見事に外れ、地方自治界の弱者である三宅島と、スポーツ界の弱者であるロードレース界という、弱者同士の結婚式は、石原利権という詐欺師に利用され、東京都民が税金をネコババされることで不幸な結婚式における犠牲者となった。

 そして相対的に、道路族と、石原の選挙を仕切った東急エージェンシーと、1000万円のギャラを火事場ドロボーした岩城滉一が、石原と共に甘い汁を吸った。

★ゆるさ
 現在の日本で、クルマやバイクを使ったエンターテイメントで一番人を集めるのは、4輪のドリフトである。

 少し前に、日本のドリフトの人達が、アメリカに渡ってドリフトをショーとして見せたという4輪誌の記事にて、「ドリフトは日本の国技だ!」と書かれていたのには私も思わず噴き出したが、モノホンの国技である相撲は外国人が闘っているので、日本人が演じているドリフトは、たしかに相撲よりも国技としての説得力がある。(笑)

 冗談はさておき、ドリフトは“おかみ”と関わっていないからこそ、バカバカしくエンターテイメント性を発揮して全てのモノ、つまり、ヒト、モノ、カネを集めていると私は考えている。

 バイクにおいても、プロライダーを目指す人は、親が金持ちというガキの英才教育派に限られてしまったので、メジャーなロードレースの現状はお寒いばかりだが、漂白された、骨抜きの、おとといきやがれ方式のMFJと関わりがないお気軽で“ゆるさ”が魅力的なミニサーキットの方が、はるかにライダー達を惹き付け、人も集まっている。

 最後に私自身の話をすると、自分の中でロードレースは“終わった”ので、もう一生MFJと関わることはないと誓っているからこそ、徹頭徹尾MFJを批判しても平気のへーさだが、すでに私はロードレースなんかよりも、バイクに関しては盆栽趣味の方が興味が大きいし、仮に走ることに対しても、前述のミニサーキットでピヨピヨ走っている方がはるかに楽しいと思えるようになった。

 そう考えると、ストレートでふせなければならない国際格式のコースを走る事が出来ないという、不可抗力な状態をもたらした悩ましい持病の腰痛も、ある意味で、天が私に与えてくれたプレゼントのようにすら思えてくる。

★エピローグ
 私は、政府の仕事を出来るだけ民間に移管すべきだというネオリベラリズム(新自由主義)に反対する民主社会主義者だが、逆説的に言えば、民間の仕事を政府がやるのは最高にバカげているとも考えていて、特に、エンターテイメント性が売り物のイベントに対してお役所が手を出すのは、せいぜい許せて町内会の盆踊り大会までだと思う。

 お役所は、市民の生活の安全や保障の為に、ひたすら福祉や医療などに尽力すべきであるというのが私の考えであり、逆説的には、イベント等は、ひたすら民間がエンターテイメント性を進化させていくべきだと私は考えている。

 つまり、漂白された、骨抜きの、おとといきやがれ方式のMFJの死期が迫っているという私の記述は、破滅の予言ではなく、別の道に進めという勧告である。




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