Erv's Letters index Text by Erv Yamaguchi

ダブルスタンダードというより分裂症
2009年11月3日 17:30

★『RACERS』誌
 私は1983年のWGP(motoGPの前身)にて、スペ公とキングケニーのバトルをキッカケにしてロードレースに興味を抱いた、当時のバイク乗りにありがちな人間なので、私のような人間をターゲットにしていると思われる、『RACERS』という雑誌が販売されるということで、私は、言ってみれば子羊のように従順な性格の人間なので、ターゲットにされているのだからちゃんと買おうと、本屋に行ってパラパラとこの『RACERS』を見たところ、「こんな歳になってから、またNS500について何か知ろうっつたって、ぶっちゃけメンドクセーな〜」と、結局手にした『RACERS』をそのまま元の場所に戻し、私は“衝動買わない”(絶対に購入しようとお金も持って買い物目的ででかけたというのに、現場で衝動的に買うのをやめること)してしまった。

 もちろん、これは『RACERS』に対するネガティブキャンペーンではなく、パッと見た感じでも、エディターはよく取材し、内容も充実していると感じたのだが、単に私がもうロードレースになどほとんど何の興味も無くなってしまい、過去のオートバイについて詳しくなりたいという知的好奇心もほとんど皆無になってしまったからなのだと思う。

★『ライディングスポーツ』誌
 ところで、私は本屋にて『ライディングスポーツ』誌もパラパラと立ち読みしてみたのだが、こちらには、全日本のロードレースが抱える問題点などについて書かれた記事があって、非常に的確な分析がされている素晴らしい記事だと素直に思ったが、この記事を読んだ私の率直な感想は、「そんな真面目な分析してないで、とっととそのカテゴリーから逃げなさい!」だった。

 そう、全日本のロードレースなど、90年代に入ってからは“終わりの始まり”の時代に突入しており、まだかろうじて存続しているものの、もはや将来は絶望的であると言える。しかし、まだ絶滅していないだけに、このカテゴリーにこだわる人達は、何とかしようと色々と考えるのかもしれないが、タイタニック号ですら氷山に衝突してから沈没までに3時間もかかったのだから、全日本のロードレースだって、そう簡単に絶滅しないというだけで、すでに将来は絶望視されているのだから、この記事を書いたライターの方は、それだけ的確な分析ができるのであれば、その能力を他の分野に生かした方が良いと私は思った。

 つまり、早い話が逃げるが勝ちだ。

★音楽の趣味
 ここのところ1週間に渡って、私は自分の好みの音楽のジャンルを紹介してきたが、自分自身で振り返って分析してみても、私の音楽の趣味は貧相なものだと言える。

 そう、70年代ソウルをかけるクラブとか、昔の曲をかけるオールジャンルの日のクラブとかで知り合った人などとよく交わされる話として、80年代以前の音楽さえあれば、新しい音楽など別にいらないという感じで、私自身、SADEなどはほとんど毎日のように四半世紀も聴き続けているし、普段PCに向かって仕事をしている時も、インターネットラジオの80'Sのカテゴリーをずうっと流している。

 つまり、私は音楽に関しては、90年代のものはチョロチョロ、2000年代以降のものはむしろ意図的に聴かないようにしていると言った有り様で、新しいものを開拓しようという気持ちがほとんど皆無である。

★バイクの趣味
 面白いことに、音楽は新しいものを聴く気が全くなく、多感な10代の頃に聴いた音楽を永遠とリピートして聴いているというのに、バイクに関しては、私は新しいジャンルに貪欲だった。

 バイク乗りの中にも、旧車を愛す人などは、私にとっての音楽のように、永遠に同じバイクのカテゴリーを愛すというタイプの人もいるかと思うが、私は旧車にはあまり興味がなく、かと言って、毎年新しいレーサーを投入するロードレースの世界に対してもほとんど興味がなくなり、今は皆さんご存知のように、一体どんなデザインのバイクが登場するのか予想もつかない、ワクワクドキドキ的なジャーマン・ストリートファイターというカテゴリーにゾッコン惚れ込んでいる。

★ダブルスタンダードというよりかは分裂症
 つまり、音楽とバイクに対して価値観が異なるのは、ダブルスタンダードというよりかは、精神が分裂しているだけだと精神科医は分析するのだろう。

 それならそれで構わないと開き直っていつもの調子で独善的に突き進むとして、音楽とバイクに関して自己弁護すれば、音楽は私を“癒す”ものなので、新しいものを開拓する気が全くなくても、人生的にはノー問題である。

 しかし、バイクに関しては、私の場合はビジネスと直結しているので、何かネタはないかと常日頃から目を光らせている。

 そうした、シビアでビジネスライクな思考で生きていると、全日本のロードレースなどにいつまでも執着している人達は、視野狭窄に陥っていて御苦労なことだと思ってしまう。

 恐らくご本人達が聞けば憤慨もののバカげた話にしか映らないかもしれないが、『ライディングスポーツ』誌とか、ロードレース関係者とかは、崇高な理念の元に、再び過去の栄光を取り戻したいのかもしれないが、その努力は恐らく“無駄な努力”に終わることだろう。

 4輪の世界においては、すでに時代は『グリード』(貪欲)から『グリーン』(環境)にキーワードが切り替わり、リーマン・ショックをキッカケにして、ホンダなどはキッパリF-1から足を洗ったし、ブリヂストンなども来年でF-1から足を洗うようだ。これは、F-1ファンには申し訳ないが、企業にとっては長期的に見て良い転換になった出来事だと思われる。

 2輪においても、例えばパーツの卸しをやっているプロトさんのカタログの移り変わりを傍観すると、昔はロードスポーツ系のパーツばかりが目立ったが、数年前からしばらくはビクスクのページが増え、最近ではもっぱらツーリングライダーのグッズを紹介するページが圧倒的に大部分を占めるようになっている。

 実際、バイク乗りのブログにおいても、サーキットを走っている人達よりかは、ソロやマスなど様々なツーリングライダーのブログの方が圧倒的に多いし、サーキット野郎のブログは、タイムが頭打ちになったり、金がなくなるとそこで終了で、慢性的なネタ不足に陥っている感があり、逆に“盆栽派”の人達のブログの方が、お給料が入るたびにネタが出来るので、ブログの寿命も長いと言えるが、株式投資に例えると、ラップタイムの短縮しかネタがないサーキット野郎のブログは“空売り”的であり、ツーリングライダーや“盆栽派”の人達は順張りというか、フツーにキャピタルゲイン(値上がり益)を得るようなスタイルで、ネタは永遠に確保されている感がある。

 しかし、ラップタイムの短縮は、例えて言うなら、空気が入った注射器の出口の方を地面に押しつけ、ピストンをひたすら押し込んでいる様に似ていて、最初の内は勢いよくピストンは下がるが、その内ピストンは下がらなくなり、しかもその状態をキープするに当たってひたすら力を入れておく必要があり、御苦労様となる。

 つまり、サーキット野郎も、素人の状態からラップタイムが秒単位で短縮している間は、ご本人が最も楽しい時期だと言えるが、儲けに限界がある“空売り”のごとく、その内にタイムの縮小幅も少なくなり、むしろタイムダウンしたりすると、途端にアキてきてしまうし、更には、自分のベストタイムをキープする為に新品のタイヤを買ったりなど、タイムをキープするコストもバカに出来なくなり、だんだんと、「こんなことでいいのだろうか?」と将来不安の方が大きくなってくる。

 サーキット野郎のブログの更新がなくなるのは、正にそんな時が多く、非常にアンダスタンダブル(分かりやすいの)だが、ツーリングライダーの人達は、旅先での美味しい料理や、きれいな風景の写真、そして時々メンテの為のオイル交換やタイヤ交換なんかもネタに出来、ブログの寿命も長い。

 また、もっと重要な点として、当然のことながらサーキット野郎の方が骨折して入院する可能性が高く、これまたブログの中断の可能性を高めている。

 とまー、サーキット野郎などよりも、客観的に見てツーリングライダーの方が圧倒的に幸せだと言えるので、現実的にもツーリングライダーに対するニーズの方が高く、ロードレースに対するニーズなどほとんどない。

 また、そうは言っても、バイクをフルバンクさせて走る快感というのもあり、レースの勝ち負けやラップタイムなどどうでも良く、単にフルバンクして走っていれば幸せという人達は、峠やミニサーキットの走行会で十分満足しているのだと思うが、その程度で「足るを知る」人達は大変賢明だと言えるし、ミニサーキットでピヨピヨ走っている人の方が、メジャーなロードレースに対するニーズより多いのもうなずける。

 つまり、速く走っていればエラいという時代は、もうとっくの昔に終焉し、現在は楽しんでいる者が勝ちの時代と言え、手前みそだが、ロードレースは草レースこそが最も楽しくエキサイティングだという17年前の私の先見は正しかったと言える。

★エピローグ
 こんな分析はあらためて行うべきものではなく、プロトさんのカタログが物語っているように、フツーの2輪業界の人間であれば、ビジネスライクに考えて、金にならないロードレースになど手は出さず、真面目にツーリンクライダーや盆栽派の人達をターゲットにしなければ、おまんまの食い上げとなってしまい、メジャーなロードレースがかろうじて存続しているのは、時々いる何かで突然儲けた人達が、気まぐれ的に過去を懐かしむかのようにメジャーなロードレースに金を出して税金対策している程度に過ぎず、特にハングリーさは感じられない税金対策している人達の走りを見ようという観客は皆無で、そこからの収入源で運営費を賄うのももはや困難であり、ロードレースの主催者のビジネスマンとしての手腕は低く評価されるしかない。

 つまり、モータースポーツというもの自体が、その起源が貴族のスポーツだったように、基本的には“あぶく銭”で行うべきもので、あぶく銭がない時代には衰退するのは自明の理と言え、80年代と違い、ロードレース自体が金を稼ぐ集金マシーンではなくなったことが、全日本のロードレースの問題点であり将来が絶望視される最大の理由だが、金が稼げなくなったからと言って、弱者を切り捨てた上で投入された税金にむらがってしまうその有り様を傍観すると、「ウィズミー」どころか、オマエ達と一緒に行動するのは絶対イヤだという気持ちが更に強まるだけである。

 もしこれを読むあなたに良心のかけらがあるのであれば、弱者切り捨ての石原利権にすり寄った、漂白された、骨抜きの、おとといきやがれ方式のMFJや、あきれた縦社会と懐かしい根性論という悪しき慣習が横行するバカげたロードレース関係者とはキッパリ縁を切って、業界関係者の方であれば自分のビジネスを展開したり、エンドユーザーたるライダーの方達であれば、草の根的にバイクの楽しさを満喫すべきだと強く訴えたいと思う。

 つまり、本来自由の象徴であり、“楽しさ”が主成分であるバイクという乗り物を、不自由と苦しさの象徴に貶めた(おとしめた)日本のロードレース関係者の罪は重く、現状で自由と楽しさを満喫しているバイク乗り達は、ロードレース関係者達の苦労話を聞く耳などほとんど有していないことに一刻も早く気付き、ロードレース関係者達はMFJとは縁を切って、その世界からはとっとと足を洗って別の道を模索すべきである。儲からなくなったことを理由に素直に謝罪して辞任したホンダやヤマハの社長のように。

 また、上記は健全な業界関係者やいたいけな少年少女に気を使ってかなり控え目に記述しているが、もっと本音で語らせてもらえれば、何を思い上がっちゃってるのか知らないが、態度がデカく、センスもゲロ悪なロードレース関係者とか、こっちは毎日苦労して商売してるのに、おまえらほんとに目障りだよ。

 そして、もし仮にこれを読むあなたがビギナーライダーだという場合には、今後、“国際ライダー”の肩書きを目にした場合、それは“詐欺師”と同義だと思うくらいで丁度良いと助言したいと思う。

 いい加減“国際ライダー”なんかの肩書きに騙されるなよ素人衆。(核爆)

 もちろんこのような状況になったのは、2輪業界全体の責任ではなく、一部のロードレース関係者の責任であり、これは、言ってみれば“身から出た錆”という話であり、上記の私の文章は、言ってみれば“愛のムチ”という話である。

 ちなみに、上記の私の文章を読んで気分を害したというロードレース関係者が、私の悪評を広めたり、何らかの直接行動を取ってきたとしても、本当にバイクが好きなライダー達の為にも、平気で捨て石になってやるよ。

 なぜならば、絹の手袋をはめて革命など起こせないのだから。




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