Erv's Letters index | Text by Erv Yamaguchi |
自動車社会(モータリゼーション)の欺瞞性(3) |
2008年5月16日 11:42 |
★殺人 自動車社会の最も暗い側面を直視してみよう。それは交通事故死である。 我が国の平成18年度の交通事故死者数は6,352人である。しかし、年度別の表を見ると、負傷者数は右肩上がりで増えているが、死者数は平成5年頃から激減しているが、これは自動車のシートベルトの着用率の上昇に伴って下がっているのが要因のようで、実際、東京都での交通事故の死者の中で、自動車に乗っていた人の割合は11.5%で、交通事故で死ぬ人は、自動車に乗っていない、歩行者、自転車、バイクの人達が大半を占めている。従って、シートベルトを着用するようになって死亡者数が減っても、体がむき出しの人達の死亡率は下がることはなく、今後も体がむき出しの人達を沢山殺していくのが、自動車社会だと言える。 ところで、私は免許の更新の際に、講習で見せられる“お決まりの”ビデオを見た時に思ったことなのだが、そのビデオでは、飲酒運転してひき逃げした人のその後の人生をドラマ仕立てにしていて、ひき逃げした人は、普段は家族思いのイイ人なのに、飲んでる時に仕事の電話がかかってきて、仕方なく運転したら子供2人をハネてしまい、男の子は死亡、女の子はクルマ椅子状態になってしまい、ひき逃げしたことを悔いた後、その人は自首するのだが、懲役5年で刑務所に入ってしまい、民事の裁判では賠償金が1億円以上になったので、ひき逃げした人の奥さんが持ち家とかを全部処分して、ボロアパートに子供2人連れて引っ越して朝から晩まで働くのだが、被害者の家族に対して土下座とかして謝っても、「息子を返せ」とか「娘の体を元に戻せ」とか、中学生のイジメレベルのお決まりの理不尽なことを要求されて、その内に自分の娘が登校拒否になって、息子は髪染めて(笑)グレちゃって、最後は「もう私は疲れました」と言って電車に飛び込んでしまう。 このドラマを見て思ったのは、つくづく日本人の美意識とは、“命を断つことで罪を償う”のが美徳みたいな、武士道の精神を引きずった感じの、そうしたステレオタイプ調で、警察の知能指数のレベルが低すぎと思った。 このビデオを制作した人達は、日本人の考える美徳を表現して注意を喚起したかったのかもしれないが、このビデオを見ると、まるで交通事故を起こして人を殺したら、電車に飛び込んで罪を償わなければいけないと強要している感じがしたが、このビデオに影響を受けて、実際に電車に飛び込む人がいたら、電車を利用している人は非常に迷惑だし、また、元々の交通事故の被害者の遺族達も、加害者の家族という、直接罪がない人に対して理不尽なことを言って自殺に追いこんだら、それはそれで心理的外傷を受けるのではないかと言う、なんとも後味の悪い嫌悪感を抱いた。 私が思うに、なぜ、警察や政府は、交通事故が起きた際に、加害者にだけ一方的に罪を負わせることしか考えないのだろうか? なぜ、自動車社会がもたらす潜在的な悪の側面を裁こうとしないのだろうか? 仮に上記のような飲酒運転による死亡事故が発生した場合には、飲酒を検知して運転が出来なくなるような自動車を設計しなかった、自動車メーカーも裁かれるべきだと私は思う。(飲酒したドライバーが乗ってもクルマは動かないというシステムは、技術的にはすでに可能と言われている) また、速度超過の違反に関しても、新しいスカイラインのGTRなどは、カーナビを使って、全国各地のサーキットに入った時しかリミッターがカットされないよう設計されているらしいが、それだけの技術があるのであれば、全ての道路で制限速度のリミッターを設ければ良いのであり、制限速度を超過して起きた際の自動車事故には、運転手だけでなく、自動車メーカーも罰則や罰金を負わせるべきだと私は思う。実際、交通事故の民事訴訟で、例えば誰かが死んで損害賠償が1億円超といった金額になった場合、ただの個人が一生汗水流して働いて支払っていくよりも、数兆円の純利益をあげている自動車メーカーがポンと支払った方が話も非常に早いと思うのだが、自動車メーカーが自分から手を上げてそんな主張をすることはないのだから、政策立案者達がこうした意見を提唱するべきだと思うが、残念ながら、政治家は自動車メーカーからの企業献金により、絶対にそんなことはクチにしないだろう。 えっ? 何々? メーカーが交通事故の責任を取るなんて、非現実的なアイデアだって? なるほど。では、“損して得とれ”の話をしてみよう。仮に、飲酒運転や速度超過の交通事故に対して、運転手だけでなく、メーカーも裁かれるという法律を作ったとしよう。もちろん、技術開発の為に、突然いきなりというよりかは、年々過失割合を高めていくのがいいだろう。そして、その間日本の自動車メーカーは、飲酒を感知するとか、衛星を使って速度を管理する技術を高め、損害賠償を避ける為の自動車を設計するようになったとして、そうした技術の探究を怠った外国の自動車メーカーは、日本で自動車を販売してドライバーが勝手に事故を起こすと、高額な損害賠償を請求されるハメになり、日本向けの技術を開発するか、日本市場から撤退するかの選択を迫られるようになる。そして、仮に市場から撤退すれば、むしろ国内メーカーにとって日本の市場は寡占状態になる訳である。(悪知恵を働かせれば、年々過失割合を高めるというソフトランディングは行わず、極秘裏に日本のメーカーだけが技術を確立しておいて、その後にインサイド的に政治家と結託して法案の可決を一気に決めて海外メーカーに打撃を与えるという手法もある) そして、日本のメーカーは、海外に対しては、日本の法律に合わせた装置はオプション設定にすれば良いので、こうした安全装置が欲しい層と、いらない層の両方の顧客を捕まえることが出来、結果的に売上を伸ばすことも出来る。あるいは、日本の法制度に感銘を受けた国が現われれば、そこの国に対する自動車輸出も寡占状態に出来る可能性すらある。つまり、技術力を武器にしてグローバル競争を勝ち抜く道が開けるのである。これが、“損して得とれ”戦略であり、交通事故や死者が減ることで、国民の命、つまり労働力が減るという国益に反する現象を削減することも出来、被害者数は激減すると思われるし、加害者も、普段はイイ人で国益的な労働力も提供していたという人が、交通事故を起こして突然犯罪者になって刑務所に入ったり財産を奪われて労働力や消費が減退するということもなく、たまに起きた事故の損害賠償は自動車メーカーが自分の利益の中から捻出するので、被害者への経済的援助もスムースになると思われる。 つまり、言いたい事としては、自動車社会を作り出し、それを後押ししているのは、他ならぬ自動車メーカーなのだから、自分達が作ったものでケガ人や死亡者が出たりしているであれば、自動車メーカーは、膨大なCM料金を支払ってメディアを口止めするよりも前に、社会的正義に目を向けて欲しいと私は思うのだが、リコール隠しにいそがしい自動車メーカーに対してこんなことを期待すると、私自身が“おめでたい人”として、これを読む読者から嘲笑の対象にされるだろう。 自動車社会(モータリゼーション)の欺瞞性(4) |
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