Home > my Machines > my GSX-R400R > 那須mslライセンス取得編(2004年8月18日)

Text by Erv Yamaguchi



私は約1年半の間、
10回も那須mslでイベントを開催したことがあるというのに、
那須mslをスポーツ走行目的で走ったことはなく、
(下見でトロトロ2周ほどカブで走ったことはある)
ライセンスすら持っていなかったので、
那須選手権に参戦すべく、
ライセンス取得の為に、
久々に那須にやってきた。

ちなみに、
私はただでさえ体力がないのに、
更にオヤジ入って弱っているので、
東京から3時間もお尻が痛くなる軽トラに乗った後で、
スポーツ走行を走るなど考えられないといった調子で、
前日に那須入りし、↑の相馬屋さんというホテルに泊まった。

ちなみに、
以前ロムシーを開催していた時にも利用していたホテルだが、
今回はロムシースタッフはいないので、
1人寂しくシングルの部屋に泊まった。




久々に那須mslのスタッフの方達と会い、
私は以前から世話になっていたサーキットの鈴木さんに、
4月のロムシーを中止にしてしまったことを謝罪したが、
鈴木さんは全く気にかける様子もなく、
笑顔で私を迎えてくれた。

そして、
8時半にライセンス受講の受付を済ますと、
「9時に(コントロールタワーの)1階に来てください」
と告げられたので、
9時に1階に行ってみると、
私しかいないので、
最初どういうことかよく分からなかったが、
以前どこかのサーキットライセンスを取得した経験のある人で、
講義は必要ないと判断される人は、
講義と実技は免除されるということで、
「山口さんはいきなり筆記テストを受けてください」
と言われた。(笑)

↑は1人寂しく筆記テストを受ける私。
ちなみに撮影は鈴木さんに依頼したが、
こんな依頼も快く引き受けてくれる那須mslの職員の方達は、
正にエクセレントである。

そして、
テストなどアッという間に終わらせてしまい、
少し鈴木さんと世間話をすると、
9時20分には私は解放されてしまい、
もうスポーツ走行を走って良いということになった。

来る前までは、
先導車に引きつられてピヨピヨ走るやつをやるとばかり思っていたので、
いささか拍子抜けだが、
まーラッキーな出来事である。




那須mslに持ち込まれた私のGSX-R400R。




ピットでボケボケしていると、
突然隣のピットにいらした、
中丸さんという方から、
「いつも見てますよ!」
とお声をかけられたので、
記念撮影をしてみた。
ちなみに、
中丸さんは以前にロムシーを観戦したことがあるそうで、
自分もロムシーに参戦したかったとのことだが、
中止にしてしまい大変申し訳ないことをしたので、
私は中丸さんに対して謝罪した。
ところで、
右側の女性は中丸さんの奥さんか彼女か、
その関係は分からないが、
大変可愛らしい方だったので、
将来もしロムシーを復活させて、
中丸さんに参戦して頂いたならば、
是非、レースクィーンをやって頂きたいと思った。

さて、そう言えば、
中丸さんは、
「ビックバイクに乗っている人ならば、
大抵はロムシーのサイトは知っていると思いますよ」
と仰っていたが、
2回目にトミンに行った時にも、
GSF1200に乗る方から、
「アーブさんですか?」
と知らない方に声をかけられたこともあったが、
インターネットの力により、
私は割と有名になってしまったようだ。

そして、
中丸さんには、
「他の人には書けないと思うので、文章を楽しみにしていますよ!」
と激励して頂き、
帰り際にはジュースまで御馳走になったが、
(中丸さんどうもありがとう!)
こうして友人知人が増えていくのも、
インターネットの力が大きいと改めて思った。




中丸さんは、
御自身はCBR954RRに乗っておられるとのことだったが、
この日は、週末に行われる『もて耐』に使用するマシンのシェイクダウンにいらしていた。
中丸さん『もて耐』頑張ってください!




さて、
私のスポーツ走行だが、
若い頃の私には、
いわゆる“完熟走行”という概念がなく、
コースイン後にいきなり転倒ということが多かったが、
オヤジ入った現在の私は、
最初はゆっくり走るべきだと考えるようになってきたので、
一緒に走っていたNSR50の方達のジャマにならないよう、
最初は55秒くらいのゆっくりとしたペースでコースを観察していたが、
午前中は、
各コーナーを何速で周るのか?
どういうラインで走るのか?
について試行錯誤することにした。
特に那須はコーナーが複合しているので、
ライン取りが難しいと感じたが、
こうしたコースに対する戸惑いと共に、
相変らず私のジスペケはキャブセッティングが出ておらず、
コーナー出口でエンジンがガホついてしまい、
きれいに立ち上がることが出来ず、
大変ストレスを溜めていた。
そして、
25週を走ると、
ウデが上がってきたせいか、
左ヘアピン手前の右35Rをオーバースピードで進入してしまい、
そのままアウトのダートに飛び込んでしまったが、
転倒することはなく、
そのままコースに戻り、
「疲れたから休もう」
と、ピットインしてしまった。
ちなみに、
ベストタイムは25週目の52秒903で、
那須選手権では全くお話にならないタイムだ。

ピットイン後、
どうも奥の右ヘアピンと最終以外は2速で周った方がいいような感触だったが、
2速だとロング気味な感じだったので、
手持ちの50Tのリアスプロケットに交換することでファイナルをショートにし、
これまではジェットニードルのクリップ位置は濃くする方向でセッティングしていたが、
時間もタップリあるから、
ワザと薄くしてみるのを試そうと、
クリップ位置を上から2段目にして、
メインジェットは今回は薄くしたかいあって、
レッドゾーンまで入るようになったので、
少し濃くするべく、
130番に交換した。
ここまでやってから少し休むと、
時計の針が11時40分をさしていたので、
多分ジェットニードルのセッテイングは間違っているだろうから、
間違いの証明を午前中の内にしてしまおうと、
いそいでコースインした。

すると、
全くエンジンが吹け上がらないので、
「あー、やっぱり全然ダメか」
といった調子だったので、
すぐにピットインしようと思ったら、
何やらカラカラと異音がしだしたので、
「何か別の場所もトラブってるぞ!」
ってな調子で、
不安になってピットに戻ると、
エキパイからオイルがポタポタ垂れてきて、
マフラーの出口にもオイルが付着していて、
異常な大きさのタペット音がしていた!
「やべー! バルブが“逝った”!」
そう、
私のジスペケは、
どうやらダートを走行時に異物を吸い込んだようで、
恐らくそれが原因で、
早い話がエンジンがブッ壊れたようである。(笑)

ちなみに、
私はエンジンを修理してまでこのジスペケにこだわるつもりはなく、
むしろ、
今後は絶版車や中古車には極力手を出さないようにしようという思いが強くなったので、
このジスペケは手放すことにした。

思えば、
エアクリーナーボックスを取り外す前は、
まだリアをスライドさせることがたまには出来るマシンだったが、
エアクリーナーボックスを外してから全くスムーズにエンジンが吹けなくなり、
全然自分の走りが出来なくなってしまったので、
エアクリーナーボックスを外したことが、
“終わりの始まり”だったのだろう。

また、
もう1つのネガとして、
今回は5mm低いタイヤハイトのリアタイヤを履かせ、
イニシャルも5mm抜くことで、
恐らくコーナーリング中のリアの車高が10mm以上は下がったせいだと思われるが、
まだフルバンクしていないというのに、
ブーツのつま先が路面とすってしまうようになってしまった。
つまり、
バックステップの装着が絶対に必要だったが、
私のジスペケは、
いい位置のバックステップがアフターになく、
作るにしても、
リアマスターの位置が難しく、
どうにも歯がゆい状態だったので、
バックステップがなければ走れない私にとっては、
アフターパーツが充実していない車種を使うことは、
ストレートに失敗だということがよく分かった。

という訳で、
非常に短い期間であったが、
このジスペケのレポートは今回で終わりとしたいと思う。

やっぱバイクは新車がいいよ。
トホホ。。。(笑)
ジスペケは、
仕方ねーから孫オクにでも出すか!
孫さんで損しそーだな〜!(核爆)


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