MAENORITY REPORT 5 |
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前のりティリポート5 by アーブ山口 |
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2004/9/5 |
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★プロローグ 神様と根本健氏の違いは、神様は自分を根本健だとは思っていないことである。 しかし、『ライダースクラブ』誌を信奉する“うしろ乗り”ライダーは、今でも根本健氏を神のように崇めている。 従って、世の中は根本健氏の著書を鵜呑みにした“うしろ乗り”ライダーで溢れ、そしてまた同時に、シートの前の方に座ってライディングする、『前のりティ』のスタイルは、まるで望ましくないテクニックをまとめて放り込んだゴミ箱のような扱いを受けている。 しかし、人生が捨てたものではないことを証明するかのように、私の書く『前のりティリポート』を読む読者が増えることで、根本健氏の持つ英知に対する信用度も下降線を描き始めている。 歴史を無視する者は歴史によって処断されるとのことだが、では今回もまた、“うしろ乗り”という単純なテクニックのみを提唱することにおける茶番性について、歴史をひもとくことで考察してみよう。 ★『前のりティ』の種類 はじめに読者にお詫びしておきたいが、『前のりティリポート』のパート1からパート4にかけては、私はいわゆるフロントを軸にリアを振っていくスタイルのライダーのみを想定して記述していたのだが、だんだんと読者も増えてきたので、もっと細かく正確な『前のりティ』の種類について私は分析してみる気になった。 ではまず、下記の表を参照して頂きたい。
では、これまであまり触れなかった2つのスタイルについて語ってみよう。 まずはケビン・シュワンツとダグ・ポーレンだが、この2人のライダーはヨシムラが作ったスズキのマシンで育ったことが特徴であり、当時のマシンはダブルクレードルのGSX-Rで、フレーム剛性が低かったことが予想される。その後、ケビン・シュワンツはGPライダーになり、ダグ・ポーレンはアメリカ国内のスーパーバイクにて、ファースト・バイ・フェラッチのドゥカティ851に乗ったが、私が想像するに、これらのマシンはライバル車に対してフレーム剛性が低かったのではと考えている。彼らは一般的には、スライドが得意なライダーだと認識されているが、それは彼らの特徴の一面であり、私自身は、彼らはタイヤのグリップ力を引き出す能力が異常に高いと分析していて、その為にフレームをしならせることで、コーナークリップ付近にて2WS的な効果を引き出しているのではと推察している。しかし、これはあくまでも私の推察なので、実際のところは不明である。ちなみに、ケビン・シュワンツに関しては、ハードブレーキングで非常に有名だが、シートの前の方に座って、上半身が起きた状態でGP屈指のハードブレーキングを披露していたのだから、根本健氏の提唱する“うしろ乗り”によるブレーキングのメリットも、全てのライダーに対する万能薬ではないことがよく分かる。 ちなみに、私自身は20年位昔には、根本健氏の提唱する“うしろ乗り”のスタイルにてブレーキングを行ってみたことがあり、根本健氏を弁護すれば、20年以上前の制動力の低いオートバイにおいては、制動に要する時間と距離が大きかったので、言ってみれば、“のんびりと”した時間がたっぷりあり、思い起こせば、古き良き時代であった。しかし、アラン・カスカート氏の言葉を借りれば、最近の、まるでコンクリート壁に激突したかのような制動力を誇るハイパースポーツ車などでは、制動距離が20年以上も昔のオートバイよりもはるかに短く、ライダーが次に行う儀式である、“倒し込み”に対する準備を急ぐ必要があり、『前のりティ』はブレーキング時にシートのうしろの方に座っている余裕は大昔よりも少なくなっている。 又、ホンダが生み出したユニットプロリンク式のリアサスペンションを採用しているCBR600RRなどは、ブレーキング時にリアサスの伸び側の反力がない為、メーカー自身が、ブレーキング時には、ライダーは積極的にシートの前の方に座るよう推奨している。つまり、根本健氏の提唱するブレーキング時の“うしろ乗り”は、古き良き時代の過去の遺物であり、現代のハイパースポーツ車のマニュアルにはそぐわないこともあるようだ。もちろん、公平を期して記述すれば、コーナーリング中もシートのうしろの方に乗る生粋の“うしろ乗り”ライダーは、ブレーキング時もシートのうしろの方に座っていた方が有利だろう。 話を戻して、次に、70年代のAMAのスーバーバイクライダーだが、彼らが操っていたビッグバイクは、ビッグバイクなだけに、シートのうしろの方に乗るのは酷だと思われ、また、コーナーリングスピードを上げて走ることも、実際問題デメリットの方が多くなってしまうので、ほぼ全員が『前のりティ』のスタイルで走っていた。ちなみに、私は『前のりティリポート』のパート1では、キャスターが寝ていて、フロント周りの剛性が低いネイキッド車は、『前のりティ』はセレクトしないことをお薦めしたが、逆説的に言って、皮肉なことに、すでにネイキッドのビッグバイクに乗っているライダーは、『前のりティ』のスタイルで走った方が良いのではないかと思わせるのが、こうした70年代アメリカンライダーの存在である。実際、こうしたビッグネイキッドのマシンは、すでにエンジンを含むバネ上の重量が非常に重いので、コーナー進入時に少々シートの前の方に座ったからと言って、フロントからスリップダウンするという感じもしないし、むしろ、積極的にフロントへの荷重を増やしてセルフステア機能を発揮した方が良い場合もあるだろう。また、同時に立ち上がりにおいても、シートのうしろの方に座って荷重を増したからといって、スライドを止められるという領域ではない、非常に大きなパワーがあるので、むしろ自分の好きな位置に座って、アクセルコントロールに集中した方が良いとも言えるが、私のお薦めでは、“うしろ乗り”のスタイルでバンク角の調整を難しくするよりかは、下半身がハングオンしていて、上半身がリーンアウト気味で、当時のエディー・ローソンに代表される、“ハンドルを路面に突き刺すフォーム”を取ることで、スライド時にはバイクを起こして対処することができる、『前のりティ』のフォームの方が、こうしたビッグパワーのネイキッド車もコントロールしやすいと思われる。 また、最近のGPライダーで面白い存在が、トロイ・ベイリスだが、彼は私がこれまで解説してきた、ミック・ドゥーハンやノリックとは違い、スライドは多用しているものの、フロントを軸にリアを振っていくというマシンセッティングは施していない『前のりティ』のようである。彼は、どちらかと言うと、安定性重視のリアステアライダーであり、リアステアライダーも『前のりティ』になれるという、ある意味面白いお手本と言えるだろう。つまり、リアタイヤのキャンバースラストを引き出すことにおいても、何もうしろに座るだけが能ではないのだ。 ★『前のりティ』の栄光 ここでは、私の思いつくまま、シートの前の方に座ることで栄冠を手にしたというライダーを紹介しよう。 まずは1983年にGP500でチャンピオンになった、フレディー・スペンサーである。彼は1995年には、500と250のダブルタイトルを獲得しているが、面白いことに、250というコーナーリングスピード重視を彷彿させるクラスにおいて、『前のりティ』のスタイルで優勝していることも、特筆に値する。 次にケビン・シュワンツだが、1989年には、チャンピオンにはならなかったものの、GP500の最多優勝を達成し、1993年には念願のチャンピオンになった。 次にミック・ドゥーハンだが、彼は1994年から1998年まで、5度のチャンピオンとなり、途中、同爆からスクリーマーに戻すことで、誰にもマネできないような、『前のりティ』の頂点とも言えるスタイルを確立していた。 こうして考えると、1983年から1998年までの15年間の内、8年は『前のりティ』がワールドチャンピオンとなっている。しかも、“うしろ乗り”ライダーの割合に対して、文字通りマイノリティーな『前のりティ』が、これ程多くの栄冠を獲得しているのだから、そこには何らかの秘密があると思われるのに、多くの識者はこのことに対して口を閉ざしている。 正直に告白すれば、私自身はプロのライダーでもエンジニアでも何でもない、言ってみればズブの素人で、こんな私ですら上記のような分析ができるというのに、なぜ、根本健氏ともあろうプロのライダーが『前のりティ』を全否定するのだろうか? 思うに私は、根本健氏は意図的に歴史を無視しているとしか思えず、根本健氏の著書を読んで私が感じるのは、上記に紹介した偉大なライダーに対する謙虚さではなく虚勢であり、根本健氏は神様ではなく、ただの思い上がった石頭だということがよく分かる。 |
★間違った条件反射 さて、多くのライダーの精神汚染を引き起こした前科のある『ライダースクラブ』誌の罪は重いが、こうした背景を注意深く観察すると、皮肉なことに真理に到達できる可能性もあるかもしれない。 我々が9年から16年もの間に受ける学校教育においては、量とか距離とか場所についてが重要視され、質とか概念といったものはあまり重要視されない。そして、学校教育を受けている間は、テストばかりを受けるはめになり、テストの内容と言えば、人名や日時や場所といったものに関したもので、言ってみれば正確な答が用意されているものばかりで、あいまいさの入る余地は全くなく、テストの内容は、「YES or NO」、あるいは、「空欄を埋めよ」といった質問ばかりである。 皮肉なことに、我々は学校を卒業すると、テストの内容はすっかり忘れてしまうというのに、テストを受け続けた習慣だけは、作業用のツナギに染み込んだオイルのように体に染み付いてしまっている。その結果、我々は問題が起きると、答は1つだけだと錯覚しやすい。 つまり、多くのライダーは、オートバイのライディングテクニックにおいても正しい答は1つだけだと思ってしまうのだろう。 そして、『ライダースクラブ』誌は、我々のこの長年染み付いた条件反射を利用し、今後なおも“うしろ乗り”を提唱するのだろうが、あたかもそれは、政府が原子力の平和利用は、我々の最後の望みだと訴えている様に似ている。 しかし、これはどう考えても“ワナ”だ。 考えてもみて頂きたい。オートバイという乗り物は、そもそも“自由の象徴”のハズである。また、オートバイを操るという行為は、「リスクをテイクしている人間からは、自由は奪えない」ことも同時に表現していると私は考えている。 なのになぜ、我々は他人が提唱するスタイルに従わなければならないのか? 日本人はルールに縛られることが大好きな自虐的な民族なのか? いや違うだろう。我々は権威に弱いのである。 従って、根本健氏を担ぎ上げている『ライダースクラブ』誌は、自らの存続の為に、権威と名声にしがみつくのだろうが、こうして自らの自由を自らが奪っているという皮肉な雑誌を読んで、『ライダースクラブ』誌を信奉する“うしろ乗り”ライダー達が自由の象徴を台無しにする様は、我々『前のりティ』にとっては愉快な出来事以外の何物でもないだろう。なぜならば、我々は自らの自由を表現すべくこのスタイルで走っているのだから。 ★エピローグ
しかし、サーキットのパドックにて、シートの前の方に座ってライディングするライダー達が、自分自身のスタイルに対して疑心暗鬼になることは避けなければならない。 そこで私は、『ライダースクラブ』誌の欺瞞性を暴露することで、『前のりティ』に勇気を与える役を買って出た。 しかし、“うしろ乗り”が永遠不滅の絶対的な真理ではないという証拠は沢山あり、もはや『ライダースクラブ』誌の最大の弱点は、『ライダースクラブ』誌自身だということを多くの読者が感じ取っていることだろう。 再び歴史を振り返れば、ロードレースの世界においては、1983年にフレディー・スペンサーがチャンピオンを取るまでは、ほとんど全てのGPライダーがヨーロピアンであり、“うしろ乗り”ライダーであった。昔のクラッシックレーサーの画像などをみれば、オートバイ自体が、異常に長いタンク形状をしており、“うしろ乗り”以外は認めないといったいでたちだということがよく分かる。 根本健氏は、こうした時代の生き残りであり、古き良き時代の使者である。 しかし、ダートトラックや4気筒のスーパーバイクで育ったアメリカンの登場に伴い、ロードレースの分野においても、シートの前の方に座るライダーが多数登場し、“うしろ乗り”ライダーと『前のりティ』は混在することとなった。 私自身は、1983年からロードレースに興味を持った人間なので、根本健氏の論調は、過去を引きずる老害にしか思えず、多くのライダーがこれに同調していることが愉快でたまらない。 それはともかく、ここでひとつの事実が浮かび上がってくるが、なぜここまで根本健氏の論理が野放しにされていたのかだが、私は国内2輪専門誌に寄稿するほとんどのライターがボンクラだということを知っていると共に、優秀なライターの真のジャーナリズムは、既得権益にこだわる団塊の世代の検閲により、ほとんどが闇に葬られることもよく知っている。 従って、国内2輪専門誌の世界の重鎮である根本健氏にたてつくなどといった勇気を持つ者など、これまでは存在しなかったのである。 しかし、根本健氏にとって良いニュースは、『前のりティ』の存在を痛烈にアピールした私の存在であり、イエスマンは害にはならないが、役にも立たないということを、今後氏は学ぶことができるだろう。(もちろんマウスの使い方を知っていればの話だが) では最後に、これを読む『前のりティ』の方々は、勇気を持って自らのライディングテクニックを披露することで、“うしろ乗り”ライダーの現状肯定の気分を害し、彼らの平安を脅かして頂くと共に、私は、泳ぎ続けなければ呼吸できずに死んでしまうというサメと、ひたすら数が増え続けるネズミの争いを見守りたいと思う。 |
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